茎立やどろり燕の巣のスープ
皆さん、こんばんは!
ハジメ2018さんが「草いきれ」という夏の季語を用いたのは、猫髭さんが指摘するように、完全にアウトです。
しかし、これもまた猫髭さんが指摘しているように、その「実感」には素晴らしいものがあります。
あとは、仲春に「草いきれ」という晩夏の季語を実感したハジメ2018さんが、その感覚をどのように詠むか、ということです。
もっとも短絡的なのは、秋の大季語である「月」を「春の月」と詠むように、説明的で美しくありませんが「春の草いきれ」とすることです。
しかし、これでは詩歌としてあまりにも稚拙なので、晩夏の「草いきれ」とは違った、もっと青々として爽やかな「春の草いきれ」を表現するための言葉を探さなくてはなりません。
そこで、歳時記のページをめくると、猫髭さんの文中にもありますが、「萌え」というキーワードか浮かび上がって来ます。
「草萌ゆる」という春の季語は、晩夏の「草いきれ」ほどのパンチ力はありませんが、春らしい爽やかでも濃厚な青々とした草花の萌え出づる香りを放っています。
俳人が俳句を信じている限り、季語は絶対に俳人を裏切りません。
あなたの感じた感性にピッタリと寄り添った季語が必ず見つかりますから、俳句を詠んでいて困った時、行き詰った時には、必ず歳時記のページをめくってみましょう。
歳時記は、俳人のバイブルなのですから♪