春場所や逆転優勝初優勝
子どもの頃、小学校の隣の黄門様の別荘跡があった高台には土俵があって、野球と相撲とプロレスは昭和三十年代の子どもたちの三大人気スポーツで「巨人・大鵬・卵焼」と言われた。プロレスも力道山人気で土俵の上にリングが張られて興行も見に行った。力道山は来なかったが豊登が来た。両腕を左右に振って脇をカポンカポンと音を立てて外人レスラーを威嚇し、外人レスラーは左右の胸の筋肉を上下に動かして観客をびっくりさせていた。昭和34年(1959年)わたくしが小学校の時に同日発刊された週刊漫画雑誌『少年マガジン』と『少年サンデー』(今のように分厚くはなく週刊誌の薄さ)の表紙は前者が大関の朝潮で後者が巨人の長嶋でどちらも40円で同級生の御菓子屋の「十一屋」のケンちゃんに見せてもらっていた。ちなみにわたくしは西鉄の稲尾投手と相撲は喉輪一直線の柏戸のファンで卵焼きは甘いから嫌いでオムレツが好きだった。小学校では大関若乃花の『土俵の鬼』(1956年)の半生映画を見せられたので、後年地元の阿佐ヶ谷では酒癖と女癖の悪さで若乃花一家を良く言う者はほとんどなく、貴乃花騒動も子どもの頃からのいじめを皆知っているので地元ではぼろくそで驚いたことがあるが、角界から追放され部屋も潰した浅はかな結果を見ると相撲以外は大馬鹿野郎だったということだろう。横綱としてはウルフ千代の富士を引退させた一戦とか武蔵丸との一戦とか記憶に残っているが、千代の富士など死んでも葬式に相撲界からほとんど参加が無く相撲を金で買っていたという噂が立ち、大乃国(昭和最後となった千秋楽に千代の富士の54連勝を阻止した歴史的一戦が記憶に残る)ひとりだけが八百長を拒んだと言われるほど嫌われていたように、土俵の上と外では差があったようで、土俵の上しか見ないわたくしには外の話は悲しいばかりである。
今場所の大相撲は関脇霧馬山が小結大栄翔に土俵際の突き落としで本割で勝って優勝決定戦でまたもや土俵際の突き落としで勝って、大栄翔は相撲で勝って勝負で負け二度目の優勝はならず、霧馬山の初優勝になった。霧馬山は先場所11勝、今場所12勝で初優勝なので来場所優勝出来なくても二桁勝てば大関になる可能性大となる。強いのに優勝出来なくて大関に成った高安と何が違うかと言うと、勝負どころでの勝負強さのように思う。今場所の十両からの新入幕の金峰山が11勝、北青鵬が9勝を上げ、十両では入場所たった二場所で十両になって10勝を上げ朝乃山を追い詰めたまだ髷すら結えない相撲至上最強の新人「落合」が頭角を現しており、来場所から不祥事で陥落した十両筆頭の朝乃山と逸ノ城も幕内に帰って来るし三役を狙える若手や高安、正代といったベテランも続々と復活しているので、もう貴景勝に横綱の芽はなくなり、本格的な下克上の時代に入るだろう。雑魚祭が続いたので相撲より観客席の女性の着物の着こなしの方に気を取られる場所が続いたが、来場所からが楽しみである。白鵬というたったひとりの稀代天才がいなくなっただけで鬼神照ノ富士が君臨したあとの右往左往している角界を白鵬が育てている「落合」が制する時代を命があるうちに見てみたいものだ。