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スレッドNo.1541

春更けて愁ひは深くなりゆけり

今いるアパートは早稲田通りに面していて環八も近く、杉並区・練馬区・中野区を股に掛けて駆け回るヘルパーには都合がいいし、何よりもそれまで住んでいた善福寺川が出水で毎年秋口に洪水警報が鳴るので津波で上京を余儀なくされた身には妙正寺川の高台という位置どりが出水の恐れがなく安心できることも、部屋の狭さや夏の西日の灼熱に勝る住めば都の理由だった。まあ、御近所で殺人事件が二件も発生して奇抜な甚平姿で走るので警察や新聞屋に追いかけられるのには閉口したが、自転車も三年前に電動自転車の最新型に買い替え、アパートの管理部門にも承諾のシールを貰って自転車に貼って、ここ五年は平穏が続いていた。それが一転、アパートのオーナーが代わったのか、四月までに自転車を撤去という貼紙が出て、一階は部屋の入口に引き込めればいいが、わたくしのアシストはオフロードも走れる堅牢なガタイなので重量は22.5キロあり、これを三階まで螺旋階段を毎日上り下りするのはまるでカミュの『シーシュポスの神話』である。二階の女の子が折り畳み自転車を運んでいたので手伝って「こんなに軽いんだ」と驚いたが、女の子はビックル一気飲みの顔をしていたので彼女にはシーシュポスの岩のように重かったらしいが12キロと言っていたので、折り畳み式の自転車であれば12キロなら片手で持てるし螺旋階段楽勝と、桃井にある日本一の折り畳み自転車製造販売の「和田サイクル」(猫酒「立山」が置いてある行きつけの飲み屋のそばなのだ)かフランスのルノーの折り畳みも安いので、とりあえず、玄関に仕舞える自転車候補の目処は確保したが、今の電動アシストは174000円したから(税金の申告などしたことがなかったので会社にやってもらったら何と還付金で自転車が買えたのでわたくしにはタダ同然で入手したブリジストンのTB1eの第1号車だった)どこへ格納するかが問題で、自転車の倉庫を貸して(無料)で置かせてくれる保管場所を探している。富豪の女を口説いて借りるか(ベッドに誘われるとベッドでは大人のきっこさんと違い、ウルトラマンどころか起立も出来ないし)、社福協の自転車置場を借りるか(日曜休日が休みなので遠出の仕事に必要な場合に難がある)、お客に置かせてもらうか(全員重度の障害者だから近所が不審がるか)、うーむ、我輩の春の愁いは深いのである。(*^▽^*)ゞ。

青空文庫は大変便利で、いちいちどこに積んだか思い出せない全集や単行本を探すよりも、記憶の検証には役に立つので便利である。が、それはあくまでもわたくしにとっては調べ物の確認であり、読書にはあたらない。やはり日本語の読書は縦に書かれた日本語を上下に目で辿り、ページに手をかけてめくるという時間の中にある。わたくしは高校の時に「紙魚庵簨斎」と名乗っていた。紙魚(しみ)とは、書物を食う虫の意で本ばかり読んでいる書痴の韜晦であり、簨斎(しゅんさい)とは竹の籠を編む翁といった意味で、わたくしを子どもの頃可愛がってくれた桶屋のお爺さんにちなんで付けたもので、ひとりで本の世界に埋没しているのが何より好きで、結婚する時は古本屋がトラックで来て全集本やら何やらほくほく顔で持って帰って行ったから、わたくしの名前を聞くと遠路はるばる本を買いに来る労を厭わなかったほどで、今でも古本屋との付き合いは長いので、根っからの本好きで、やはり本は手にとってページを括りながら読む時間が至福の時である。

自然もまたそうで、若い俳人と吟行をすると、わたくしは縦書きの俳句用のノートを鎌倉の新星堂で買って愛用していたが、彼らは携帯電話にメモしていた。電車の中やトイレの中でいきなり句が来た時に便利なのだという。便所で便利とは、そこまでわたくしはやらないが、確かに、俳句が浮かんで「だるまさんがころんだ」式に繰り返していても家に着いて自転車を降りたら忘れている迷句は数知れない。杜人さんが言っていた花の写真を撮って、あるサイトに送るとたちどころに画像検索して花の名がわかるという、何人もわたくしにそう言う俳人はいた。しかし、わたくしはそんなに簡単に判る気にはなれない。やはり、花図鑑を調べたり、植物園を歩いたりして自分で何らかの努力をして見つけないと、自分で覚えたのではなくひとに教わったということはそれは自分にとって誠実な態度ではないと思うのである。わたくしはすべてのことを自分自身から学ばなければ体験は自分の経験にならないという生き方をしている。近道ではなく寄り道の道草の中に歳時記には絶対に載っていないわたくしだけに見せる表情が自然にはある。例えば灯台躑躅(満天星)の新芽のものみな枯れた中に逆光に真っ赤な色を灯すその小さな美しさに気付いているのは自分たちだけだという車椅子散歩の中でしか出会わなかった小さな自然のシグナルは、スマホやジョギングやおしゃべりに夢中なひとたちや座敷犬を連れ歩く人々には見えないシグナルで、わたくしも季節の写真を撮りに来たり、吟行に十年近く毎週のように歩いていて気付かなかった。歳時記や俳句ばかり見ていて、自然のシグナルを見ていなかった。そのことに気付いてから、散歩は楽しくなった。今は自転車撤去をどう切り抜けるかに必死だけどね。(*^▽^*)ゞ。

写真は銀座の松屋へ向かう地下鉄のショーウィンドウ。猫や蛙がぶら下がっている。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年04月22日 14:36)

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