アメリカの友の風鈴(wind-bell)賑やかに
仕事仲間だが家族ぐるみの付き合いをしてきたアメリカの友人がいて、わたくしが定年で海外に行く仕事がなくなってパスポートも更新しなくなったのと、友人もボストンからニューポートへ引っ越してアルパカ(瘤のないラクダのような愛嬌のある顔をしている)を飼っている隠居暮らしなのでメールのやりとりしかないが、お土産に風鈴をくれたことがあるが、日本の風鈴とは別物でガラスの棒を垂らしてそれが風でカラカラ鳴る仕掛けで、ガラス製の鳴子のようなもので少し風が強いと喧しいので近所迷惑になると外してしまったことがある。
やはり風鈴は江戸風鈴の涼やかでかそけき音色がいい。中国の昔は風鐸といって青銅の鐘の占い用なので南部風鈴とかもその名残りだろうが、それは
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
を教科書に載せていい理由にはならない。ほとんどの生徒の頭には風鈴は秋の季感だと刷り込まれるので、わたくしも五十二歳で俳句を始めた時もずっとそう思っていたので、ほんとうに俳句を指導する連中は馬鹿ばかりでどんな馬鹿面の俳人が協力しているのか知らないが、チンの毛マンの毛生えたばかりのど素人にいきなりエベレストへ登れと言っているようなもので、蛇笏といえども生涯に何句詠めるかという句である。虚子の新歳時記にもこの句は載っていない。作句のお手本にならないからである。載っているのは、
風鈴の垣根涼しく曲りけり 阿部みどり女
といった誰でもわかるが「涼しく曲り」に詩情がある句で、作れるようでなかなか深い句が鬼さんこちらと手を叩いて俳句の細道へと導いてくれるのである。名句をやたらと引き合いに出す先生面をした連中が一番質が悪く相手のレベルに合わせて指導できないただの虎の威を借るイタチのような手合いで、これが五万といる。
その点、きっこさんはハイヒールひよこ組のレベルに合わせて指導してくださるので、最初にきっこさんに出会ったわたくしたちは幸運の極みである。俳句は最初に良き師に出会うかどうかで決まると先達たちは異口同音に言うが共通して言われたのは「あなたはよほど最初に良い師に巡り合えたようだ」と言われたことで、これはわたくしの生涯の誇りである。
とはいえ、メインのパソコンが電源が入らなくなり(多分マザーボードのヒューズが飛んでいる)ここのところサブのパソコンで作業しているが画面が小さくて見づらいのなんの。これがキツイ。きっこさんと違って俳句のバックアップは取ってあるから問題はないとはいえ、膨大なジャズのバックアップはメディア・プレイヤーのヴァージョンが異なると移行が大変で、2010年秋の製造なのでディスクを取り出してディスク・ケースに入れて他のパソコンに接続してまた移行作業が待っているので、これにはほとほと参った。明日年金支給日なので同じパソコンが中古市場にあれば楽勝だが、まだ見つからない。まあ、元プロだから昔を思い出してメンテナンスをするとしよう。
あ、画面開いたまま晩飯作って食べてからアップしたら杜人さんを飛び越えてた。ゴメマムシ。
写真は檜扇、朱色の花では柘榴の花と並んで好きな花である。種子は真っ黒で射干玉(ぬばたま)と呼ばれ、和歌では「髪」や「黒」や「夜」や「夢」などにかかる枕詞として有名。
ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてなほも恋ひ渡るかも 万葉集
*和泉式部が元歌として詠んだのが「黒髪の乱れも知らずうち付せばまづかきやりし人ぞ恋しき」で、昔は女性が扇や髪で顔を隠していたので、顔を見るのは家族か恋人だけで、光源氏もいたしたあとで朝になって寝た女が不細工だったので驚いている。