墓燈籠ともる下界は星のごと
今日八月十六日は那珂湊の「萬霊供養燈籠ながし」の日なので京都の大文字の送り火も十六日で、最後の盆の夜という思いでつなぎます。那珂湊だけでなく平磯からも阿字ヶ浦からも川向こうの大洗からも那珂湊の魚市場に萬の流燈が昼間から陸続と並び、夜になるとドックに浮かべられます。荘厳にして壮観な儀式ですが、那珂川から流れ込む波の揺れで燈籠が傾き蝋燭の火が燃え移るのかひとつが燃えて隣に飛び火して燃えると、見ている遺族たちから声にならない声が起こる。しかし、天に帰るのだと誰もが思う。この写真は東日本大地震の前年2010年の流燈会で、連動した最後の常陸沖の地震と津波でドックは魚市場の前が陥没したが、鎌倉時代から続く八朔祭は翌年の年番がどっこい生きてると頑張ったが、コロナの時代の今はわたくしも帰郷出来ないので、今年は八朔祭や燈籠流しが出来たのか定かではない。
きっこさんの話はわたくしも身に染みた。あの戦争でわたくしの在では身内に死者が出なかった家などなかったのではないかと思うが、本家の跡継ぎも分家の跡継ぎも悉く死んだ。わたくしの伯母も女手ひとつで四人の子どもを育てた。だが四人のうち三人は病と老衰で亡くなり、コロナの時代なので一番仲が良かったいとこ二人とは病院の面会も出来なかった。伯母もそうだが、死んだ父母も戦争の話はほとんどしなかった。笑い話になることしか話さなかった。具が何もないすいとんの不味さとか(笑)。わたくしが大根、里芋、牛蒡、人参、茸入りの具沢山の出し汁に、東北で覚えた「はっと」という幅のある「きしめん」のように溶き小麦粉をお玉から垂らして伸ばす「すいとん」を作ると「こんなうまいすいとんは初めてだ」と父は喜んだ。旨過ぎて食べ過ぎ「御法度」という説もあるが、夏場に三陸地方に吹く冷湿な北東風は「山背(やませ)」と呼ばれ冷害に陥ることが多く、米も不作になるため「はっと」のような代用食が発達した。きっこさんが比喩句の最高傑作として必ず引く、
やませ来るいたちのやうにしなやかに 佐藤鬼房
は、「ひっつみ」や「はっと」といった地味だが滋養溢れるお国料理の背景にある過酷な自然を詠んだ「三陸の大地の歌」なのだ。