過ぎし日の囲炉裏に祖父と今年酒
昔は子どもは母の実家で産むのでわたくしは二歳まで大洗の祖父母の家で過ごした。母は祖父の末っ子だったので可愛がられわたくしも魚の仕出し屋の仕事が面白くて那珂湊に移ってからも従姉弟たちとは兄弟のように育った。その祖父は大洗で代官様と畏怖される地元の顔役だったが、わたくしたち母子には優しく、よく祖父の囲炉裏で過ごした。祖父が煙管で煙草を吸う、その火種を掌で転がすのを驚異の目で見ていた。また指の間に海苔を三枚挟み囲炉裏の炭火で炙るさまも覚えている。自在鉤があったようななかったような定かではないが、この海苔を炙る時は五徳だったと思う。焼網を乗せてわたくしが海苔を一枚炙っても日に透かすと祖父のように三枚とも奇麗に緑色に均一に火が通らずまだらで、初めは四隅を持って三回づつ裏表を炙っていけと教わったが、長じても祖父のように綺麗には一枚でも炙れなかった。祖父が具合が悪いと聞いて見舞いに従姉に買ってもらった一升瓶を抱えて「酒は百薬の長」と言って囲炉裏に座っている祖父に渡すとこましゃくれたことを言うと笑っていた祖父の顔が最後だったが、小学生の時の大洗の祖父母の思い出は向こうから自分がどんな子だったかを思い出させてくれる本当の体に刻まれた記憶である。
写真は縷紅草(るこうそう)。ちょうど蕊に光が当たった瞬間。夏の花だが、今年は夏が長くいまだに咲き誇っているので驚いた。