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スレッドNo.309

今生は一度でよけれ月の眉

鎌倉に住んでいた時に泉鏡花ゆかりの山寺でわたくしが行くと必ず姿を見せる翡翠がいて来世があるなら群れない翡翠がいいかと思った事があるが、善福寺川に移って来てやはり雌の翡翠がよくわたくしの前に現れるので楽しみに毎週歩いていたら、数年後に恋の鞘当で負けた雄が雌の翡翠を突き殺したとカメラマンに聞いて何か人間の三角関係のようで厭な気がしてから人生は一回で沢山だなと思うようになった。わたくしの好きな歌人に山川登美子という歌人がいて、与謝野鉄幹から「白百合の君」と呼ばれていた。

  髪ながき少女(をとめ)とうまれしろ百合に額(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ 山川登美子

という『恋衣』の一首によるが、『恋衣』は山川登美子・茅野雅子・与謝野晶子の共著で、登美子の「白百合」、雅子の「みをつくし」、晶子の「曙染 (あけぼのぞめ) 」の短歌集と、晶子の詩編(「君死にたまふこと勿れ」)を収めて、晶子が恋敵として云々の話は有名だが鳥も人間もそっちはわたくしは興味がないので作品だけしか見ないので、山川登美子が夭折する前に詠んだ二首が昔から好きで、竹西寛子『山川登美子』(講談社 1985年)の冒頭だったか、山川登美子は挽歌を詠むために生まれて来た歌人だった、という書き出しに感心したことがあったが、まさしくわたくしが愛誦してやまない二首が挽歌だった。それも恐ろしく美しく哀しい挽歌だった。

  をみなにて又も来む世ぞ生まれまし花もなつかし月もなつかし
  後世(ごせ)は猶(なほ)今生(こんじやう)だにも願はざるわがふところにさくら来てちる

わたくしは前世がダボハゼも混じっていたのか、詩は詩、短歌は短歌、俳句は俳句、小説は小説、批評は批評、随筆は随筆と別々に何でも食べていたので、来世や後世の話題になると山川登美子の挽歌が自然と浮かぶ。「花もなつかし月もなつかし」「わがふところにさくら来てちる」の七七がなんとも素晴らしい。山川登美子は薄倖の歌人と呼ばれるが、馬鹿か、自然に慰めを見出し癒される歌の心が見えないのか。これだけの歌を詠めないわからないおめえらの脳味噌の方がよほど薄倖だ。

俳句も短歌も自然と生きる日本人の心が寄り添わなければ命が吹き込まれないのだ。

>何と言っても、猫髭さんの名調子の文章が秀逸ですね(俳句はイマイチですが、笑)

はい、みんな異口同音に同じことを言います。しかし、師匠に言われると凹むわあ。笑)

>生きることは食べること、食べることは生きること、俳句の侘び寂びとは距離がありますが

芭蕉は俳諧を巻くごとに献立を自分で書いて料理も酒も用意したという献立表があるから例えば月見献立は蒟蒻好きな芭蕉は煮物に里芋に松茸の吸い物を出しているので永谷園の松茸のお吸い物のような偽物はないはずだから食い意地と侘び寂びは不即不離だったかも。(*^▽^*)ゞ。

写真は鎌倉岩殿寺の鏡花の池の翡翠。嘴が紅いので雌。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年08月30日 12:05)

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