エリ女へと向かふ牝馬や霧時雨
みなさん、こんにちは。
競馬が大好きだったエリザベス二世は、イギリスで初めて「君主による勅令」によって、ジョッキークラブの裁定に法的権限を与えました。
その結果、ジョッキークラブの権威が確立され、近代競馬は大きく発展したのです。
エリザベス二世は馬主としても大成功しており、日本で言うところの「G1馬」を数多く所有していました。
1954年と1957年には、イギリスの全ての馬主の中で「獲得賞金1位」に輝いています。
1973年、当時の田中角栄首相がイギリスを訪れてエリザベス二世に面会した時、女王は角栄に「日本のお金持ちが次々とイギリスに来て、良い種馬を片っ端から買って行ってしまうので困っている」と苦言を呈しました。
すると、自身も馬主で競馬事情に詳しかった角栄は、次のように返したのです。
「もともと女王の所有場だったゲイタイムは、現役引退後、種馬として日本に輸入されたことで、1962年に日本ダービーを制したフエアーウイン、1963年に日本ダービーを制したメイズイというダービー馬を二頭も排出しています。女王の元所有馬の産駒が二頭も日本の最高のレースを制したのです。これは素晴らしいことです。女王、ぜひ日本にいらしてください。私が東京競馬場をご案内いたします」
この角栄の「シレッと女王を持ち上げる」という機転の利いた返しによって、まだ四十代の若かった女王は、通訳の言葉を聞き終わる前に笑い出し、そのまま角栄と二人で大笑いしたという逸話が残っています。
そして、二年後の1975年、エリザベス女王はあたしが三歳の時に初来日しましたが、この初来日を記念して、中央競馬(現在のJRA)に牝馬限定のG1「エリザベス女王杯」が誕生しました。
日本では愛情を込めて「エリ女(じょ)」という略称で呼んでいる11月のG1レースですが、俳句が好きなあたしとしては「女流俳人の俳号」のように感じてしまいます。
そのうち「横山エリ女」という俳号で、競馬関連の俳句をまとめた句集でも出してみようかと思っています(笑)
冗談はさておき、サッチャーが「鉄の女」なら、サッチャーの大改革で切り捨てられた数えきれない人々への思いを忘れなかった
エリザベス二世は、あたしにとって「現代のマリー・アントワネット」に他なりません。
敬愛する女王に、心からの哀悼の意を捧げます。