籾摺りの前の籾干し日和かな
波多野爽波は「歳時記をつらぬくもの、それは農のくらしを含めた自然、即ち農耕文化です。その農のくらしへと、自分から身をすりよせて行きたいものです。そのくらしの中心を占める米作りのざっとした一年を取りあげてみました。ひろがりのある季語を□で囲んでみました」と以下のように記しています。猫髭註:線で囲めないので隣に😀マークを付けます。
田打
↓
種選・種浸し・種井(池)・種俵
籾😀
種蒔(種下し)
苗代😀・水口祭😀・種案山子
↓
畦塗・代田・溝浚へ・代掻牛
早苗
↓
田植😀・早乙女・早苗饗
↓
植田・田草取(一番草・二番草)
↓
青田
↓
稲の花😀
↓
早稲
豊年・鳴子・稲雀・案山子・鳥威
↓ 毛見(検見)
落し水
稲刈😀・稲架・落穂
稲扱・籾干😀・籾筵・籾磨
↓
新米
新藁(今年藁)
藁塚
藁仕事・縄なふ
(以上の繰り返しです)
溝浚ふところを登り蝉丸社
納戸に灯一つ垂れをり田水張
帳場から見ゆる限りや秋収
出穂の香や蟹が出て来る物語
青稲や老いては肩のひん曲り 爽波
以前、ハイヒールには農家に嫁いだお仲間がいらっしゃいました。歳時記の宝庫の中にいる人だなあと感じてうらやましく思っていました。本人は御苦労が絶えなかったと思いますが。
杜人さんも季語の宝庫の中にいます。籾殻焼の煙を捉えた素晴らしい写真ですが、雲の下には汲めど尽きせぬ農のくらしがあることをお忘れなく。稲の花の写真は接写しましたか。落穂拾いは見ましたか。
昔廃刊になった「俳句研究」に「農の一年」という田打から始まる連載があり、切り取って大切に読んでいたが廃刊になると聞いて石井編集長に何とか完結するまで頑張ってくださいとお願いしたが、季刊になってとうとう休刊となり「農の一年」はなくなった。何年か伝を探して同人誌に残りが連載されて完結していることを願ったが作者は亡くなっており、結局「農の一年」が本になることはなかった。俳句文学館にバックナンバーがあれば全部コピーして農のバイブルとして永久保存したい。あの連載は爽波の志そのものだった。今の農のくらしは現代化されて昔とは変わっているが、群馬県川場村のわたくしが愛して止まない日本一おいしい「雪ほたか」の余生のうちに一年は移住してお手伝いをして「雪ほたか」を文藝として残したい。冷えてもうまさを失わない米は初めてだった。
インターネットアーカイブがありましたか。昨日もインドで大量の学究捏造、盗作、改竄が見つかり、原著よりも三ヶ月早く発表されているといった詐称を見破るためにアーカイブが活躍していましたが、確かにハイヒールが始まった2003年から辿れましたが、すべてではない。とはいえ、わたくしもプロのはしくれだから、猫髭さんの「作句の姿勢」の凄さをアラスカのりんさんまで見に来るとはナンダッペとアーカイブすると、いやすさまじい薀蓄の羅列で道理でわたくしとの論争をみんな避けたがるわけだという雑学の帝王ぶりで、ラスカルに藤沢の飲み屋で猫髭さんウンチク垂れ過ぎと怒られて反省しているのもむべなるかなで、今のわたくしでもかなわない。俳句の初山踏みの頃はワルノリして切字だけの俳句や四季いずれにも使える季語とか遊んでいてもう二昔前の記録だしわたくは自分の過去には興味がないんで皆さんの作品ときっこさんの作品ときっこ語録だけチェキ(check it)していただけで、句念庵さんが「猫髭さんって、きっこさんの影(髭)猫みたいな時があるじゃん(笑)。」と言っていたのには笑いましたが、過ぎたことは過ぎたことで忘れてあげてもいいのではないかとも思う。表にはほとんど出ないので、余りひとに褒められたことがないせいで、きっこさんや茂雄さんやかもめさんや龍吉さんやかげおさんといった先達に褒められることが嬉しかったのでしょう、アーカイブで見ると恐ろしいほど勉強していますが、残ったことと言えば、やはり地道に目の前のものを見て心を託せる季語が自分の中にあるかということでしょうか。歳時記ではなく自分の心の中で血肉化されている季の言葉でなければ俳句は血が通わないから。