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スレッドNo.631

磐城 までゆくんか雲よ秋の海

兎波さんの「いわし雲」から山村暮鳥の詩「雲」を思い出した。山村暮鳥はわたくしの生まれた大洗磯浜町で結核療養中に亡くなったので、実家の大洗の板金工場で働いていたわたくしは裏手の磯前神社を抜けて大洗海岸の松林に建っている山村暮鳥の詩碑の台座に腰掛けて晴れた日は海を見ながら弁当を食っていた。この詩碑には山村暮鳥の「雲」という詩が彫ってある。

  おうい雲よ
  いういうと
  馬鹿にのんきさうぢやないか
  どこまでゆくんだ
  ずつと磐城平(いはきたいら)の方までゆくんか

どんなに落ち込んでいても実にのんびりとした気分になれる子どもの頃から大好きな詩で、二十代のほとんどを盆暮正月なしで板金工として働いていたわたくしの憩いの場だったが、敬愛する詩人の詩碑に腰掛けて弁当を食らうなどバチアタリな労働者ではあった。萩原朔太郎と同郷の群馬県高崎市生まれでキリスト教の伝道のかたわら萩原朔太郎、室生犀星らと、詩・宗教・音楽の研究を目的とする「卓上噴水」を創刊し、信者らと作った詩誌「風景」にも萩原朔太郎、室生犀星に加えて三木露風らが参加していたという近代詩の礎を築いた詩人の一人だが四十歳で病に倒れた。詩碑の説明には萩原朔太郎が磯浜まで見舞いに来たと書いてあった。磐城平とは福島県のいわき市の旧名で、平、勿来(なこそ)、常磐(じょうばん)、内郷(うちごう)、磐城(いわき)などの市町村が合併した日本一でかい市だが東日本大震災の浜通り南部に位置していたため甚大な被害をこうむったところなので、今読むとまた別の感慨も生まれる。あの30メートルの大津波で亡くなった知り合いが一人いるのを思い出した。この詩にはひとの安否を祈る心もあるようだ。

>あたしが生まれる前の東京を視覚的にも知ることができました。

きっこさんが池波正太郎の『食卓の情景』(1973年)を取り上げたので、記憶を辿るとちょうど『むかしの味』(1984)の単行本が出た頃に『食卓の情景』が新潮文庫で再販されたので、一緒に社内報の『忘閑記』(通称ゴリラ記)という新刊紹介連載に『むかしの味』と『食卓の情景』をペアで紹介していました。『散歩のとき何か食べたくなって』(1977年)は古過ぎて店が見つけづらくなったので『むかしの味』を開いて『食卓の情景』の文庫本を載せている写真が付いていました。つい、酒の話など詳しいので歳の差が親子ほど違うことを忘れていました。(*^▽^*)ゞ。

で、きっこさんがまだ小学生だった頃に書いたわたくしの文章を見ると、こういうことを書いていました。以下、後半を引用。

ここ(『食卓の情景』と『むかしの味』)に出て来る話は、彼(池波正太郎)が長年にわたって受け付けてきた店や料理だけを並べているせいか、付焼刃な押し付けがましさがない。嗜好は人それぞれだから断定はしないが、偶然「ああ、この店か」とぶらり出会った味を思い出しても、こう言って良ければ、それらは本来の味がした。今や酒といえば「住吉」といえども売れてくると杉樽に寝かす手間を惜しんで杉の香の粉末でごまかす。塩、醤油、味噌も然り(過熱すると苦味が出る)。うまいまずい以前に、本来の味を失った調味で味付けされたものに金を払う馬鹿がどこにいるかと言いたくなるが、少なくともこれらの本に出て来る店は本来の味を守っている。この確かさは彼が、家庭で日常に味わうウチメシと、料理屋に足を運び金で購うソトメシとの相違をわきまえていることにも由来する。日常の繰り返しに値するものが生活の範疇であり、それを支えるのは家族であるという常識がそこにある。とくに『食卓の情景』は滋味のあるうまさだ。醤油や味噌を自給したこともなければ、自分で釣った魚や締めた地鶏の味も知らない世代に本来の味と言っても通じまいが、身体が忘れない味というのは、子どもの頃の記憶のように、どうしてこんな些細な事がと思うくらい魂に染み付く。人というものは、厨で夕餉の支度をする気配を聴きながら配膳を待つ時が、最も調和した人間関係に向かい合っている時間なのである。
 「どんなに性格が一致していようが、性的に合っていようが、日常の食事の味で、家族をリード出来ない女性は、いつも崩壊の危機に直面している」と言ったのは吉本隆明だが、池波さんは「食べたくないものが出たらおぜんを引っくり返せ、でないと、一生、食いたいものも食えないぜ」ということになる。女性にしてみれば何でも喜んで食べてくれる方が嬉しいだろうが、日常の食は繰り返しに堪えられなければママゴトに過ぎない。もっとも、ヴィリエ・ド・リラダンのように"Vivre ? les serviteurs feront cela pour nous"(「生活? そんなものは召使にでもまかせておけばいい」戯曲『アクセル』)と言うような高踏派もいるが。
 正月ともなれば、三箇日は厨に立って刃物を持たずに済むように、暮に念を入れておせちを作る。逗子の新年は静かだ。ただひたすら地酒をあおり、好きな映画を見て過ごす。少なくとも元日の夜から二日までは新聞屋さんのコンピューターも休み、絶対にCALLが来ることはないから。 (ゴリラ記)*ゴリラのようにタフだと言われたので。部下はゴリラよりタフだと言っていた。

本当に今日は杜人さんが言うように「久しぶりに鰯雲が空いっぱいに広がりました」。写真はわたくしが吟ぶらする妙正寺川そばの電線と雲。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年10月22日 12:34)

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