神おはす伊勢の外宮の空高し
伊勢神宮に参ったのは五十年以上前で、伊勢湾のどの港か忘れたがなじみの船の記録紙か何かを緊急で届けに行った時に船長がわざわざ届けに来てとんぼ返りをするなら伊勢神宮へ寄ってけと言うので、わたくしが働いていた大洗工場は大洗磯前神社の裏手にあり、この神社は阿字ヶ浦の酒列磯前神社と二社で一つの平安時代からの兄弟神社だったので八百万の神様の溜り場である出雲大社にちなむ最北の神社になじんでいたから皇族や歴史上の大物と関係の深い神宮系はど派手で今一興味がなかったとはいえ、『東海道中膝栗毛』弥次喜多道中の「お伊勢参り」の神宮の大本を見るのも一興かと出かけたはいいが、あんなに広大だとは思わなかった。最初に外宮へ行ったのだが、神がいるかどうかは雰囲気でわかるが外宮は間違いなく『古事記』の神がいると肌で感じる原始の息吹が感じられて感銘を受けたが、内宮まで徒歩で小一時間かかるほど離れているとは思わなかった。弥次喜多は膝栗毛というくらいだから、馬並みに健脚だわ~。あとで往復バスがあると知ったが、函館山に登ったときもしんどかったが裏にケーブルカーがあると知ったのは下りてきてからで、高尾山もそうだが、あとで便利な文明の利器があることを知ることが多い。出雲大社も広大だったが伊勢神宮よりはまとまっている。賽銭箱の多さには参ったが(バスに賽銭箱用の小銭交換機が付いていやがる)。神も仏も敬うが頼る気はこれっぽっちもないわたくしなのに、不思議なことに、初めて上京したら明治神宮のそばに下宿したり、引っ越したらイスラムの寺院のそばだったり、カミサンの実家が岩清水八幡宮の裏手だったり、家を構えたら鎌倉八幡宮の上だったり、でっかいカソリック教会があったり、俳句の結社や同人誌の吟行先がやたらと神社仏閣が多いので、信心もないのに、よくもこれだけ八百万の神様に縁があることよとあきれるが、那珂湊には米軍の基地も射爆場もあったし、立川基地、逗子の米軍弾薬庫、横須賀基地と、住んでいた来し方は宗教と戦争に囲まれているとも言える。どちらも生死に関わるから合わさると宗教戦争も絶えない。
宗教も戦争もない国をユートピアと言うのかも知れない。
11月の花は野紺菊。伊藤左千夫の『野菊の墓』はこの菊だと言われている。確か矢切の渡しの近くだった。