鉄橋の音のかすかに蓮根掘る
>大阪・箕面の滝
これがあの「滝の上に人現れて落ちにけり」じゃなかった、
滝の上に水現はれて落ちにけり 後藤夜半 昭和四年(オリジナル表記)
の名句が詠まれた滝ですか、初めて見ましたが立派な滝ではありませんか。この句が大阪・箕面の滝を詠んだものだと言うのは坂口昌弘氏の「平成の好敵手」第二回「岸本尚毅VS小川軽舟」の孫引きですが、「 軽舟は、夜半の句については『現代俳句最前線』の中で、箕面の滝をいくら眺めても句の景色は見えてこず、「落ちにけり」と言えるものではないと言い、実際の滝を見た写生句ではないと実景で確認している。」とあったので呆れたことがあります。歳時記の「一月」を見ると、
一月の川一月の谷の中 飯田龍太
の句が必ずと言っていいほど例句として挙げられていますが、あの川は、
雪解川名山けづる響かな 前田普羅
といった山を削るような渓谷を流れる川ではなく家の前の飛び越せるような小川を見て出来たと龍太が屈んでその田水を引いたような流れの前の写真を見た記憶があるのですが、句の姿がシンプルなので、軽舟のように、この小川をいくら眺めても句の景色は見えてこず、「一月の川」と言えるものではないと言い、写生句ではないと実景で確認したと書くかというと、騙されたとは感じても腹は立たないどころか、よくここからあれだけシンプルで美しい句を詠めたものだと感心するしかない。俳句は「客観という実」に軸足を置いた「主観という虚」であり、それがリアリティや美しさをもたらすのは各位の「多作多捨」「多読多憶」の修練次第ということになる。
ところで、「滝の上に」の「上」は「うへ」と字余りで読むのか「へ」と上五に収めて読むのかという話題があるが、
滝の上人あらはれて去りにけり 原城 昭和2年
という句が「ホトトギス雑詠選集」にあるので、滝の上は「うへ」と訓じるのが正しいとわたくしは思います。
写真は冬季限定トンカツ屋の牡蠣フライ定食。醤油をかけてレモンを絞りタルタルソースでいただく。エビフライも自宅で冬は半額セールのエビフライの揚げるだけのやつを買って来て、タルタルだけだと甘すぎるので醤油か塩で軽く下味を付けてからタルタルを少々付けて食べる。エビフライは大好物で炊き立ての白米に合うのである。
おでんの季節だが、「孤独のグルメ」で見た富山のおでんの蟹面(蟹の甲羅の身から味噌から内子まで混ぜて練りこんだもの)が強烈に旨そうで、これは東京では入手困難なので、年の瀬大均市で大根一本丸ごと88円と安いので買って来て、奈良の大根炊きを思い出して厚めに大根を切って串でぷつぷつ挿しまくって中まで火が通る奈良おでんのやり方で半額で冷凍しておいた手羽先をどかんとぶち込み、シンプルに大根と手羽先の炊いたんにした。これは出汁が旨味の元だから、昆布、干し椎茸、煮干、鰹節、酒、醤油と塩で火を通しては冷まして味を入れ、また火を通して冷ますことを繰り返して完成。大根一本食べてしもうた。この出汁で饂飩で締める。しかし、千秋楽を見てがっかり。茨城出身の高安はいざという時に限って弱い。困ったもんだ。