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スレッドNo.1412

春は先づ不意打ちに聞く丁字かな(平成癸未春分初句) 

何をもって春とするかは自分が暮らしている自然によることが多い。京都や鎌倉だと沈丁花の香りである。掲載句はわたくしが生まれて初めて52歳の春分の日に詠んだもので、陽暦3月21日頃の仲春だがまだ寒く「春は名のみの風の寒さよ」で逗子・鎌倉ハイランドのバス停に下りて行った時に清冽な匂いが鼻を突き、振り返るとそれが沈丁花の香だったが、何の花かわたくしは知らず、後日京女の妻に教えてもらったのである。すると、娘たちの出産に腹帯を貰いに行った鎌倉のおんめさま(大巧寺)の入口にも沈丁花は咲いており、気が付けば鎌倉の神社仏閣に限らず至るところに咲き香っており、なるほどマフラーにコートが必要な寒さの中でも春はもう間近なのだと実感したもので、この一句でわたくしは季語に出会い俳句を詠むことを覚えた。大洗に生まれ那珂湊で育った海へ繋がれた日々に沈丁花の春はなかった。

きっこさんに『ホトトギス雑詠選集』(朝日文庫、全四巻)だけを最低半年は読みなさいと言われて、正岡子規の『俳諧大要』 (岩波文庫)と山本健吉『季寄せ』(全二巻、文藝春秋)を三種の神器、俳句のバイブルとして精進した。わたくしは五歳の時から書痴だったので読書は苦にならないので『ホトトギス雑詠全集』全44巻も古本屋で収集し、アルス版の『子規全集』から角川書店の『校本芭蕉全集』からめぼしい総合俳句雑誌から江戸時代の俳句本から手当たり次第に読破していったので薀蓄だけは人様から呆れられるほど持っているが、薀蓄で俳句は上達しないので、『奥の細道』など三ページで寝落ちするラスカルには猫髭さんは何でも知ってるけど俳句は下手だねえと言われてきたが、毎月のようなラスカルのお母さんと三人で藤沢のカラオケBAR「かまくら」で談笑した日々は大切な思い出になっている。馬場龍吉さんに誘われて鎌倉での初吟行から境野大波代表の「ノマド句会」に参加して、春夏秋冬、同じ道を歩きながらひとり吟行をする「定点観測」の独楽を教えてもらうと、一週間で季節は移ろってゆくことが体に滲み込み、俳句世間から引退した今でも欠かさず「定点観測」は怠らない。ひとりでも俳句は独楽なのである。「多作多捨」「多読多憶」に俳句の上達は尽きる。

きっこさんの俳句へのチャレンジには頭が下がるが、老人には一日一日の身の周りの自然との移り変わりを自分の感性で見つめるささやかな喜びで満足しているので、楽しませてもらっています。

引用して返信編集・削除(編集済: 2023年02月02日 23:32)

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