山盛りの乾燥芋煮る彼岸潮
わたくしの故郷の那珂湊は乾燥芋(「かんそいも」と約めて言う)の日本一の産地なので芋を干す時期は村中の女手が乾燥芋を作るために借り出されていなくなるほどで、冬場は達磨ストーブの上で香ばしく炙って食べる派と干し上げたものをそのまま食べる派とわかれるが、これを煮て食べるというのは近所の八百屋の親爺が埼玉では煮て食べるんだと店先に並べるまで知らなかったが、これが安い栗きんとんのようで、主婦だけでなくわたくしのような老人まで懐かしい甘さで食べ出すとお茶に合うので手が止らず今日はふたつ(ひとつが10枚ほど煮たものか)食べて麦茶と抹茶を1リットルほど飲んだら、きっこの花粉症抑制カレーを食べた後のデザートだったから凄まじい胸焼けでグルジア共和国。乾燥芋に使う芋は普通の紅あずまといった焼芋にしたり蒸かし芋にしたりする薩摩芋ではなく、玉豊(たまゆたか)という大きくて白い芋で、これを十月から十一月にかけて掘り起こし、一ヶ月以上寝かせて熟成させ、蒸かして皮を剥いて平切りなら一週間、小振りな丸干しなら二週間(この小振りが最高に旨いが東京では見たことがない)天日干しにして仕上げる。わたくしの子どもの頃は道端や原っぱに簾(すだれ)の上に並べた乾燥芋がそこら中に干されていたもので、煮干の簾と乾燥芋の簾は那珂湊の見慣れた光景と匂いだった。干し上がった乾燥芋はせいぜい二枚程度を食べていたが、煮たやつは鼠色の芋煮という感じで見た目は綺麗ではないのですが、食べると「懐かしい甘み」という天日で干した芋の甘さだけの栗きんとんのような正月にしか食べられない金襴きんきらの甘さではなく、実に地味な鄙びた甘さなのですが、何とも「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川」という歌が聴こえる甘さで、つい全部食べて胸がグルジア共和国になって、もう六時間、く、く、苦、食いすぎたあ▼▼。
あ、今日は石神井川のそばの仕事に行く途中、桜の蕾が膨らんでいたので今週の17日が開花予想とお客が言っていたのでほんとだと思って、仕事を終えて帰りしなにお婆さんが川を見ていたので自転車の速度をゆるめたら、何と行きがけに蕾だった桜が帰りにはさいているではないか。見渡せば対岸の川辺には白い雪柳が。橋の左右には木蓮と辛夷が全開で咲いているではないか。春だねえ。