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スレッドNo.199

坑道の奥まで月の光かな

皆さん、こんばんは。

まず、句念庵さん、「巻く」はカ行五段活用なので「巻ひて」ではなく「巻いて」もしくは「巻きて」ですよ。句念庵さんはベテランなのですから、そろそろ動詞の活用くらい覚えましょう。自信がなけれぱ、投句する前に調べましょう。

さて、中学二年生から俳句を始めた早熟のあたしでも、最初に好きになった飯田龍太から蛇笏を知り、そこからホトトギス系の様々な俳人を知って行く中で、子規が嫌った芭蕉へと到達した時には「芭蕉って子規がボロクソに言うほどダメな俳人じゃないじゃん!つーか、芭蕉、すげえじゃん!何なら、子規こそ芭蕉の百倍も駄句が多いじゃん!」と気づくまでに、約20年も掛かりました。

そして、芭蕉を否定していた子規は、心の底から芭蕉を否定していたのではなく、自分には到達できないステージにまで上り詰めた芭蕉のことを、実は嫉妬していたんじゃないのか?‥‥と気づくまでに、あたしは、あと10年も掛かりました。

あたしは30年かけて、やっと俳句が分かりました。自分の句が、新聞や雑誌に掲載されたり、何かの賞に選ばれたりすれば、誰だって嬉しいですよね。中には誰かに自慢したくなる人もいるでしょう。でも、それは俳句の目的ではないのです。あたしは、これまで「角川賞」などの大きな賞に応募したことは一度もありませんが、それは、そこに何の意味も見い出せなかったからです。

小説家なら「芥川賞」や「直木賞」を受賞して、それをきっかけに文章で身を立てる、という1つの道もありますが、俳句はまったく違います。俳句を実践する目的は、自分が俳句という武器を身に付けることで、普通は多くの人が見過ごしてしまう日々の小さな変化にも気づけるようになり、誰よりも早く新しい季節の到来を感じられるようになり、移りゆく季節とともに日々をゆるやかに、でも濃厚に、毎日を堪能しながら生きてゆくことができるようになる、ということなのです。

つまり「俳句」とは、自分自身が人間としてレベルアップするための手段なのです。俳句を始めたことで、まるで小学校低学年の時のように、路傍の草花や小さな昆虫に目を輝かせ、多くの大人たちが「昨日と何も変わらない怠惰な日々」と呼ぶ日常を、キラキラと輝きながら生きて行けるのです。これこそが、俳句という定型詩の存在理由なのです。

もしもあなたが、この先、病気や事故などで寝たきりになっても、あなたの脳みその中には「俳句」という無敵の味方がいるのです。寝たきりの病床にあっても、それまでの自分の人生を遡ったり、テレビやインターネットからの最新の情報を得たりして俳句を詠み続けることで、あなたは17音という「自由の羽」で、どこへでも飛んで行けるのです。

皆さん、「俳句」とは、自分がどんな状況になっても、いつでも好きな場所へ飛んで行ける「自由の羽」です。たった17音しかない世界最短詩形の「俳句」という日本独自の「挨拶」を、単なる「言葉遊び」にしてしまうのも、自分の「認証欲求を満たすためのツール」にしてしまうのも、あなたの認識ひとつなのです。

句会などへ投句するのは、あくまでも自分の俳句技術の成長度合いを確認するためであり、それは「結果」や「目的」ではありません。「良い句を作って人から褒められたい」という幼稚な認証欲求は、俳句の本意とは正反対に位置するものです。

この座に集まってくださる皆さんには「誰かから評価されることを狙った句」ではなく、「周りから感心される句」でもなく、「あなたにしか詠めないあなたらしい句」を詠んでほしいと願っています。それが、俳句を自分の武器とする第一歩だからです。

たかがしりとり俳句、されどしりとり俳句、あたしは皆さんの一句一句を常にチェックしていますので、たまにはあたしを唸らせるようなKOパンチをお見舞いしてくださいね。期待しています♪

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