爽籟や願事を踏む備前橋
昔「ににん」の岩淵喜代子代表から「本を読む」という読書感想を俳句に詠むのを「猫髭さんはこういうの嫌いよね」と言われたことがあるが、岸本尚毅とか錚々たるゲストも顔を出しており、苦手だと答えたが、実は博報堂の役職は忘れたが広告の要職にいるひとから、コピーライターの仕事は苦行のようなものでひとつの言葉から百のコピーを作りその百からまた百のコピーを作るという過酷なもので自殺者まで出る業界だから薦められないと言われたが、わたくしはそれほど苦にならなかったので、むしろ自分に向き過ぎていると断ったことがある。つまり、自分の得手とする分野で金を稼ぐことはどうしても好き嫌いが入ってくるので、自分の未知の分野で地道に最後までやるのが仕事だと、趣味の世界とは切り離して考えていた。二十歳前だったと思う。岩淵代表に聞かれた時も読書の量や分野では多読は苦にならず毎日数冊の本、どころか漫画や映画や音楽も渉猟していたから、それらをネタに俳句が詠めるというのはきっこさんの言う左脳俳句になるし、敬愛する俳人も嘆きますよと言われて封印していたが、どういうわけかわたくしが「賊吟」と名づけた本歌取りの句がきっこ特選になったりして、他でも薀蓄と写生の融合が成功した句と云われるので、67年も心にある愛読書や映画や音楽を俳句に詠んでも、老い先短いから許されるかもと思い始めている。
今夜の句は、三島由紀夫の名短編『橋づくし』のラストシーンからである。『橋づくし』は三島由紀夫の短編の中ではわたくしは一番好きで、近松浄瑠璃のこの世の名残の橋づくしを踏まえて見事な語り口で、世界的にも各国で翻訳され高い評価を得ている。新橋の料亭の娘が中秋の名月の晩に、芸妓たちと七つの橋を黙って誰にも声をかけられず同じ道は通らずといった約束事をして無事渡りきると願事(ねぎごと)がかなうという遊びで、さて最後に七番目の備前橋を無事渡り終えて願事を叶えたのは誰でしょうか。未読の読者は秋の長夜を存分にお楽しみ遊ばせ。『花ざかりの森・憂国―自選短編集』 (新潮文庫)所収。
なお、お休みをいただいていた「ハイヒール図書館」の『きっこ俳話集』裏編は続きを「裏第二十話 ネコにも解かる旧仮名講座」までアップいたします。この「ネコにも解かる旧仮名」を間違えたためネコにも劣るときっこさんに笑われ「白頭」という俳号を「猫髭」と改めた曰く付きの章でございまする。とほほのほ。