愛されず生きてをるなり残る蝿
「活力を何からもらふ」と言われても蝿はねえ、腐ってても腐って無くてもたかるからねえ。虚子の『新歳時記』の「蝿」には「蠅には随分色々な種類があり数も多いが、愛されるものは一匹もゐない。蠅を打つ。」と、一茶の
やれ打つな蠅が手をすり足をする 小林一茶『梅塵八番』
という有名句もあるのだから、そこまで言わんでもという決め付け方だが、逆に言えば、「広辞苑」並みに【幼虫はいわゆる「うじ」。イエバエ・キンバエ・ニクバエ・クロバエ・サシバエ・ヤドリバエなど種類が多く、伝染病を媒介して人に害を与える。】(第二版補訂版)とまでこだわるということは、虚子が「蠅」に並々ならぬ興味を持っていたということでもある。その証拠に、「蠅」以外に「蠅除」「蠅帳」「蠅叩」「蠅捕器」とすべて傍題ではなく、首題として挙げている。
殊に「蠅叩」は完全に虚子のツボである。その証拠は、虚子がその死によって刊行出来なかった未完の句集を、虚子が死んだ昭和34年4月8日が「ホトトギス」の748号に当っている機縁で、高濱年尾、星野立子の二人の子どもが選抜して『七百五十句』として刊行した晩年の句集から見ればわかる。
一匹の蠅一本の蠅叩 昭和29年
蠅叩に即し彼一句我一句 昭和29年
蠅叩とり彼一打我一打 昭和29年
蠅叩き座右に所を得たりけり 昭和29年
山寺に蠅叩なし作らばや 昭和29年
仏性や叩きし蠅の生きかへり 昭和29年
山寺に名残蠅叩に名残 昭和29年
蠅叩にはじまり蠅叩に終る 昭和29年
去年残し置きたるこゝの蠅叩 昭和30年
蠅叩われを待ちをる避暑の宿 昭和30年
必ずしも蠅を叩かんとに非ず 昭和30年
蠅叩作り待ちをる避暑の寺 昭和31年
蠅叩手に持ち我に大志なし 昭和31年
用ゐねば己れ長物蠅叩 昭和31年
昼寝する我と逆さに蠅叩 昭和32年
新しく全き棕櫚の蠅叩 昭和32年
籐椅子は禅榻(ぜんとう)蠅叩は打棒 昭和32年
ね、死ぬまで蠅を打っている。「蠅叩手に持ち我に大志なし」って、大志を抱いて蝿打つやつなんているんかい。(*^▽^*)ゞ。