さやけしや爽波一筆つかまつる
きっこさんに俳句の楽しさを教えてくださった担任の先生が貸してくださったのが爽波の第1句集『鋪道の花』だったのですか。初めて聞きました。「鑑賞のお部屋」できっこさんと爽波鑑賞でヒール役をやらせてもらいながら爽波全句集の初版を当時は安く簡単に入手出来たので喜んでいたら、馬場龍吉さんにそんなに爽波が好きだったらこのひとの句集を読んどいたほうがいいよと貸してくれたのが波多野爽波の高弟西野文代の句集で、
なはとびにおはいりやしてお出やして 西野文代
というはんなりとした京言葉の俳句にこんなに自在にお国言葉を遣える俳人がいることに驚いて、西野主宰が東京浅草句会に参加されると聞いて特別に参加させてもらったら東京の会員は全員顔見知りだったという奇縁で、そのまま西野文代主宰の「文」という結社の一年後に終刊する最後の同人として参加が許され、きっこさんの指導で鍛えられていたのでたった一年でしたが結社とはどういうものかという貴重な経験をさせてもらい、爽波の短冊はじめ彼の傍に居た「青」高弟のひとたちにも話が聴けたので、「俳話集」の次の「鑑賞のお部屋」では爽波直筆の短冊や色紙もアップ出来ると思います。中学生で爽波の『鋪道の花』に出会って私淑した爽波ゆかりの結社に偶然か必然か巡りあったのもハイヒールの「縁(えにし)」だときっこさんの告白を聞いて納得しました。お楽しみはこれからだ。(*^▽^*)ゞ。
漂鳥の雀鷹は翡翠襲ひけり 猫髭
拙句にお言葉ありがとうございます。「雀鷹は翡翠襲ひけり」は俳人としての「定点観測」ではない俳句世間からは身を引いた普通の趣味人としての「吟ぶら」というのんびり散歩をしていてその日の季節と出会うという自然体の詠み方ですが、番いで居たのでカメラマンも「繁殖だろうか」とフィリピン辺りに帰る途中で毎年善福寺川の和田堀公園に立ち寄るのは知っていたのですがいつも単独だったのが今年は番いだったのが珍しく「鳥渡る」という季語が漠然とし過ぎていてわたくしには扱いづらいので「漂鳥」という傍題を選んだのですが「漂流」だと確かに海を渡る鳥なのでそう言い得るとはいえ、あてもなく風の向くまま潮の向くまま放浪生活を送っているようで擬人化の気味があるので、帰趨本能は生きているわけですから、「(フィリピンへ)帰る(渡る)さ(㋐移動に関する動詞の終止形に付いて、…する時、…する折、…する場合などの意を表す。「帰る―」【大辞林 「さ」接尾語】)に雀鷹は翡翠襲ひけり」の事実からすると、
渡るさに雀鷹は翡翠襲ひけり
が、わたくしの「身の丈」吟かなあと思います。
漂流の雀鷹は翡翠襲ひけり
だとハードボイルド猫髭になってかっこいいので俳句も喜んでいるのですが、それは20年前なら似合うのですが、今は歯ガボロイド猫爺なので身に余り過ぎる添削かと。(*^▽^*)ゞ。
写真は海の台風荒れがおさまって7月15日以来やっと食べたホウボウの刺身。粗汁もうまかったあ。