太刀魚に噛まれて真つ赤ゴム草履
明日は朝から病院の検査なのに、今夜はしこたま飲んでいるので、酔った勢いで再び登場しました!(笑)
>さやけしや爽波の湯呑漂白す きっこ
これは、あたしが「爽波の第2句集『湯呑』から受けた数々の衝撃をきれいさっぱりと漂白してリセットし、これからはあたし自身の表現で俳句を詠んで行きたい」という決意を詠んだ句ですが、そこに置いた「さやけし」という秋の季語は、「爽やか」という大季語の傍題であり、「爽波」への感謝の心を示したものです。
「爽やか」「秋爽」「爽涼」「爽節」など「爽」の字の入る季語を用いてしまうと、あまりにも作為的なため、「さやけし」を選択して、ほど良い距離感を取りました。
そして、もう1つの「あたしの思い」は、「さやけし」と言えば、かもめさんの「さやけしやまためぐりあふ山のいろ」です。
この秀句は、詩人で俳人の清水哲男さんが『増殖する俳句歳時記』 https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=20031109 で取り上げてくださいましたが、ハイヒールの座友、かもめさんの代表句でもあります。
そして、かもめさんの住む西九州に、このたび開通した新幹線の名前が、なんと「かもめ」なのです。
こんなことって、あるのでしょうか?
あたしは、この新幹線のニュースを聞いた時に「奇跡か起こった!」と思いました。
この句の「さやけし」という季語の斡旋は、あたしの爽波に対する感謝とともに、かもめさんへの「あたしの思い」であり「挨拶」なのです。
あたしは、以前から「自句解説はダサい」「自句解説をしなければ伝わらない俳句はそもそもB級」というスタンスで俳句を続けて来ました。
しかし、この「しりとり俳句」は「楽しみながら俳句を上達させる場」なので、皆さんに「俳句の心」を伝えたくて、今回は、あえて自句解説をさせていただきました。
この解説から、何か1つでも学んでもらえたら、俳人として最も恥ずかしい自句解説をしてしまったあたしも本望です。
>渡るさに雀鷹は翡翠襲ひけり 猫髭
あたしがベストと感じた「漂流」を嫌うなんて、猫髭さんはセンシティブですね(笑)
でも、それが「身の丈俳句」なのですね。
あたしは常に「より良く」を基本に添削しますが、相手が実感している「身の丈」までは分かりませんので、逆に猫髭さんから教えられました。
ありがとうございます。
>さやけしや雲に無限の目的地 杜人
杜人さんらしい爽やかで壮大な景をイメージさせる句ですが、「さやけし」という漠然とした季語自体が、すでに「雲に無限の目的地」という描写も含んだ大景を内蔵しているのです。
その一方で、「さやけし」という季語には、読み手それぞれが思い浮かべる「漠然としたイメージ」しかないのです。
このような漠然とした季語には、具体的な景を取り合わせましょう。
漠然とした景には、具体的な季語を取り合わせましょう。
色鳥や雲に無限の目的地
白菊や雲に無限の目的地
鬼やんま雲に無限の目的地
このように具体的な季語を斡旋すると、杜人さんの作風のよろしさが、さらにグンとアップします。
>初紅葉宿の柱の赤漆 兎波
兎波さんらしい落ち着いた実感のある句ですし、「紅葉」と「赤漆」の取り合わせも面白いのですが、パッと目にした時に、漢字の羅列が重たすぎて、ゆったりとした軽みが感じられないところがもったいないですね。
初もみぢ宿の柱の赤漆
と、表記の一部を変えるだけで、時間の流れがゆったりとして、この句のよろしさが倍増されます。
俳句は基本、縦書きなので、「初紅葉」と「初もみぢ」、両方の句を縦書きにして比べてみると、さらにイメージの違いが分かると思います。
兎波さんのアーティストとしての感性は素晴らしいので、俳句の表記にも生かしてほしいと思います。