こんばんは(^^)
きっこさんに、2004・3・17、お誘いのメールを頂き、その時の一声で私はここに来る決心が出来たのでした。
あれから19年、良かったと思ってます。北海道の女性の方もこちらに来られるといいですね。
あの時は、茨木和生の著作「俳句入門/初心者のために(朝日新聞社)という本の前書きの一節を紹介されましたね。
水泳は畳の上でいくら泳ぎの形、恰好を整えても、実際水に入らなければ泳げるようにはならないと。
俳句は独りでやるのではなく、詠み手と読み手がいて初めて成り立つ「座の文芸」だと。お互いに勉強しあい、磨き合って行く場所(座)なのだと。ここはまさにその「座」なのだと。ですからここで一緒に勉強し、楽しみながら俳句をやりましょう、との趣旨のお誘いでした。お蔭で俳句を楽しみながら、余生を過ごさせて頂いております(^^)
北海道の女性の方、どうか躊躇わずにお出ましください。みんないい人ばっかりですよ(^^)
きっこさん、兎波さん、皆さんこんばんは。きっこさん、いつもご指導ありがとうございます。写真の説明が中心になっていましたね。これからは写真に関係なくしりとりの俳句を詠む訓練?をしてみます(^^)。
きっこさん、みなさんこんばんは。
きっこさん、アドバイスありがとうございました。
大寒のドボン便所の堅き音 兎波
そうそう、一般的には汲取便所て言ってましたよね。
ドボンはちょっとここだけの言葉かも。
大寒の汲取便所音堅き 兎波
にしました。
こんにちは。
きっこさん、色々な気付きをさせて頂きありがとうございます。分かっていたつもりでもすっかり忘れていたりです。(^_^)
皆さん、こんばんは!
今朝配信した『きっこのメルマガ』の俳句コーナーで、「スケート」という冬の季語を取り上げ、著名俳人の「スケート」を詠んだ詠んだ句をいろいろと引き、それぞれに感想を述べて行ったら、また多くの読者から「俳句に興味を持った」というメールをいただきました!
この掲示板は、20年前から「きっこのハイヒール」で座をともにしてくださった座友との大切な場所なので、誰も彼もと新しい人を招くつもりはありません。
あたしにとって何よりも大切なのは、これまで座をともにして来た皆さんだからです。
でも、今回のアリソンさんのように、あたしが「この人は絶対に俳句を好きになり、短時間で上達する!」と感じた人は、たまにこの掲示板に招待します。
これまでメルマガを配信し続けて来て、あたしがこの掲示板に招待したのは2人だけです。
1人はアリソンさん、もう1人はあたしと同い年の北海道の女性なのですが、未だに書き込みすることにとまどっているようです。
でも、素晴らしい感性を持った人なので、いつか参加してくださることを待っています。
俳句は「座の文芸」なので、仲間と切磋琢磨することが最高の楽しみだからです。
>大寒のドボン便所の堅き音 兎波
兎波さんの地域では「ドボン便所」と言うのですか?
あたしの地域では「ボットン便所」だったので、ちょっと違和感を覚えました。
ここは全国共通の「汲取便所」が分かりやすいと思います。
>音もなく湧き上がる雲冬の空 杜人
「音もなく湧き上がる雲」という、どこかで聞いたような新しみゼロの描写を使うなら、せめて取り合わせる季語で大きく飛躍しましょう。
「雲」の描写に取り合わせる季語が「冬の空」というのは、1ミリも飛躍していませんし、十七音の中で起承転結が終了してしまっています。
たとえば、今の時期の花の季語を置くだけでも、「大空の描写と足元の季語」という取り合わせによる遠近感や立体感が出るのです。
俳句は、起承転結の全てを詠むのではなく、起承転まで詠んで結の部分を読者に委ねます。
場合によっては、最初の起と最後の結だけを詠み、起から結までの途中の流れを読者に想像させるパターンもありますし、承転結を詠み、その状況がどこから起こったのか、発端の起を読者に考えさせるパターンもあります。
だから、十人十色の解釈があり、その句を読んだ人の数だけ感動があるのです。
音楽、絵画、文芸、映画など、多くの芸術は作者が作品を最後まで完成させていますので、あたしたちはその「完成された作品」を黙って鑑賞するだけです。
でも、俳句は芸術などではなく「挨拶」ですから、読者との相互関係が必須なのです。
他の芸術のように、作者が完成させた作品を黙って鑑賞するのではなく、作者が未完成の状態で差し出した詩の断片を読み、その十七音に書かれていない作者の思い、あえて省略した「もっとも言いたかったこと」を読み取るとともに、自分が幼い頃から持ち続けて来た世界観とも融合させ、詠み手と読み手との共同作業で新たなイメージの世界を構築する、これが「俳句を鑑賞する」ということです。
俳句を好きになり、毎日のように俳句を詠むようになったら、次に考えるのは「上達」ですよね。
でも、俳句の上達にもっとも効果があるのは、俳句を詠むことではなく、とにかく先人たちの俳句を読むことなのです。
多くの先人の句を読みまくると、目から鱗が何百枚も落ちますから、「もう、一枚も鱗が落ちない」と感じるまで先人の句を読みまくるのです。
そうすると、そこがあなたの俳句のスタート地点になるのです。
きっこさん、兎波さん、皆さんこんばんは。今日の雲はどんどん変化していきウォーキングの始めと終わりですっかり形が違っていました。