かつて「俳聖」と呼ばれた人物が「下ネタも 俳句に詠めば 芸術よ」と詠んだように(誰だそりゃ?笑)、どのような下品な言葉でも、五七五という定型に収め、季語をトッピングすれば、一見、芸術作品のように見えるものです(笑)
陶淵明は「桃源郷」や「帰去来」が有名だが、実はねずみ部屋の主のような妄想ストーカー詩人で「閑情賦」には十一の放蕩欲情が延々羅列されて「願わくは衣にありては領と為り華首の餘芳を承けん(そなたの衣の衿となって首の匂いを嗅ぎたい)」「願はくは裳にありては帶となり窈窕の纖身を束ねん(そなたの帯となってか細い腰をぎうぎう締めたい)」「願はくは眉にありては黛となり瞻視に隨って以て閒かに揚らん(そなたの眉のまゆ墨となって目線と一緒に上下したい)」(←ここ爆笑)「願はくは絲にありては履となり素足に附きて以て周旋せん(そなたの絹の履物になって素足で踏まれたい)」(中国にも靴フェチはいたのね)と、まあ世界の古今東西のエロねずみの大物のひとりだから知らず知らず屋根裏部屋に足を踏み入れているかも(^^♪
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