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スレッドNo.246

『指針と規範』より

なんだよ引用かと思われるでしょうが、返信でそこら辺を書きます。

※以下引用




われわれは孤独になることを望んでいなかったが、酒にすべてを支配される生活を続ける中で周囲の人たちの信頼を失い、孤独はどんどん深まっていった。ついには、その孤独の怖ろしさに震え、自らを責めさいなんだ。

酒害者の哀しさは、酒を飲むためにはどんな嘘でもつかねばならないことにある。そしてその嘘が、孤独の最大の原因になる。勿論、嘘をつくことには後ろめたさもあり、それなりの反省もするのだが、だからといって嘘をやめるわけにはいかなかった。命よりも大切な酒を飲めなくなるからである。

嘘のくり返しが延々と続く中で、酒害者にとっての嘘は、生きていくための必要悪となる。われわれは酒以外の問題で嘘をつくことはなかったのだが、生活のほとんどすべてが酒に関わってくるとなると、他者から見て、どうしても嘘で固めた人間になる。

その嘘が原因で、われわれは誰にも相手にされなくなった。ひとりぽっちの孤立した暮らしの中でますますひどい酒を飲むようになり、心身ともにぼろぼろになった。アルコール依存症は酒をコントロールできない病気である とともに、孤独が際限なく深まる病気だともいえるのである。だから、この病気から回復するためにもっとも必要なことは、孤独から抜け出すことである。言い換えれば、信頼できる仲間をつくることである。

ひとりでは酒をやめられないから、必然的に断酒会ができたと考えることができる。酒害者は酒の歴史とともに生まれていたと思われるので、ずっと以前から酒に悩む人たちの中には、酒を断つしかないと考えた人もいただろうし、ひとりでそれなりの努力をした人もいたと考えられる。だが、そうした人たちの努力がことごとく被れたため、アルコール依存症は不治である、という偏見が生まれたのではないだろうか。

われわれ自身を振り返って考えるとよくわかることだが、何度かひとりで 酒を断(た)つ努力をした結果は無残なもので、断酒会に入会することでやっと断酒できたのである。断酒会をはずしてわれわれの断酒はあり得ない。

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2003年、夏。

どこかに自分と同じように一人で酒をやめ続けている奴がいるはずだ。
熱いアスファルトジャングルを彷徨いながら、私は思っていた。
そんな奴はどこにもいない。
いないとは言えないかも知れないが、
人は群がって生きる動物で、
一人では基本的に生きていけない。
なんらかのカミングアウトなしに酒をやめ続けるのは難しい。

そういう状況に私はいた。
孤独だった。

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見つけにくい人たちを探して、2003年の夏、私は彷徨っていた。

一人では生きていけないのが人の社会である。
生まれたときから、人は「一人ではない」。すくなくとも社会の中に生まれてくる。
望まれてか、望まれずにか、それは知らない。

群がってでもいれば、また社会的に有名で公言していて、そのことが有名でもなければわかるかもしれない。
酒をやめ続けていることを公言しても、なぜかあまり大きなニュースにはならない。
他人の飲酒に関して、自分に関係なければそんなことを気にする人はまずいない。

私は、いない人を探していたようなものだと思う。
断酒をしてから、 古株の歌舞伎役者のかたがずっと断酒を続けていると話されていた記事をみたことがある。
それは、祝い事の記事の中の一行にもみたないものだった。
いまは、断酒しているだろう有名人の武勇談というか、スキャンダルは見たことがある。
アルコールのクリニックに来ていたとか、自助グループに来たとか、そんな風の噂も聞いたことがある。
その後の話は、まず、出てこない。

それらは、忌事のようなものなのだろう。

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