寝た子を起こす
言葉は言葉でしかありません。
なおかつ、時代によって、時間によって変化したりしなかったりします。
老人と呼ばれる年齢になって、終わってしまった言葉は寝かしつけておく知恵ぐらいは持つようになりました。
多分に妄想を含んでいるのでしょうが、父の人生について考えることができるようになりました。
それは父の父、祖父の人生や祖父の父の人生にまで思いは及びます。
私自身の人生についても、母から投げかけられた言葉の重みにいまも苦しみを感じることがあります。
言葉は言葉でしかなく、実態にはなり得ません。
言葉が呪いとなり、言葉に囚われていく深い闇の世界の縁で、まだまだ生き続けねばならない私がいます。
時空を超え死者が生き続け生きるものが亡霊となる世界。その世界で生きることは不可能な「私」が今日のところは存在するようです。