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スレッドNo.16

埼玉県在住   投稿者:H

この4月に浄霊をうけました埼玉県のHと申します。過去の当欄に体験談を記しましたHの家族の者です。このたび東京・大手町の将門公、日光東照宮の家康公のもとにご挨拶に伺うことができましたので、これをひとつの区切りと考え私の場合の体験談を記したいと思います。

私は元来、信心深いほうではなくとりたてて神仏を意識せずに、また鈍感なのか自分に降りかかっている厄災に気付かずにここまで生きてまいりました。そのような私が何故神鏡様にご尽力いただいたかと申しますと、私に対する霊障が家族に災いをもたらしている、と知ったからであります。

邪霊は狡猾です。たとえば他人に対して恨みごとがあるとします。この恨みを当人に対して晴らせない場合、近親のものに矛先を向けようと考えるのと同じことです。このことに気付いたときに浄霊を受ける決意を固めました。

また、神鏡様の教え・・・といいますか神鏡様のお考えの『人として正道歩み努力を重ねることが神の領域への近道』であるとのお話を伺うにつけ、多くの共感をもってそのお人柄を理解することができたからでもあります。

私も常々、人の身体は魂をよりどころとして神様から借り受けた物。この身体をもって他の人と感衝しあい共鳴しあい時には反発しあいながら、負わされた責や役割を果たすべく生きるべきもの、という考えを抱いていたものですから、何やら自分の想いを裏付けられたようで嬉しくなったことを想いだします。

そのような私でもまだまだ未熟ゆえ、神殿を拝してもお力を感じられないときもあり、甚だ力不足と思っておりますが、今後、自分を律し努力を積み重ねてゆけば解決できるものと信じております。

ここをご覧になられておられている方の多くは、何かしらのお悩みをもってこのサイトに辿りつかれたのだと思いますが、そうでない方に申し上げたい。街中に人があふれるがごとく眼には見えないものの多くの霊が存在します。その中には邪をもって人に関わろうとするものが存在することも事実です。この力は強く、残念ながら時には人を殺(あや)めてしまうこともあるのでしょう。

病気や怪我をしたら医師にかかるのと同様、霊による障害を負ったときには他の力を借りて治そうとするのは自然のこと。身構えることなく、臆することなく神のご助力を乞うてみては如何でしょうか。

駄文で恐縮ですが、ここまで記しましたことは私の嘘偽りのない正直な感想です。ご自身の生活に壁を感じている方、心に陰を抱えて悩んでおられる方、どうか神殿と向き合って自分がどういう状況に置かれているのか認識していただきたいと思います。まずはそこからはじまります。

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