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高山集いの会

投稿者:神周士の会 愉人 投稿日:2021年12月18日(土)20時32分57秒 zaq31fa8f1d.rev.zaq.ne.jp   通報 返信・引用
12月11日12日の高山集いの会に参加して来ました。
一年振りの高山での集いの会に成ります。
神々の御守護を戴けたので集いの会に参加出来ました。

九代さんも書いておられますが、道中で、神様より宿題が出されました。
その宿題の内容を聞いた途端に、私の頭の中は困惑し始めました。
車内での会話も、ソゾロで言葉が、かみ合わなくなるほどの戸惑いが頭の中を駆け巡っています。
社に着き挨拶しても、頭の中は答えを見つけようと、考えています。
写真を撮影するのでも、ソゾロで、カメラも動かなくなり、マトモな対処もできず撮影も上手くいきませんでした、写真には自信を持っていましたが、この時ばかりは自信など無く、頭が回らず撮影を諦めました。
帰路に就いた時に確かめましたら、カメラのセッティングが間違っていたのを発見しました。
あの時は余裕も、何も無く、神様への返答に全てを奪われていた状況でした。

旅館での事は、九代さんが書いておられます内容ですが、私は肉が美味しかったのは記憶に有るのですが他の事は、ウル覚えになっています、直会に神経が囚われている状態が続いています。

直会が始まり、時が経つにつれ本命の宿題を出された神様が登場されました。

私は答えとして用意したのは、前々から九代さんには構想を述べ意見を聴いていた事を話しました。

それに返答が有り、そなたが一人で考えたのかと質問をされました。

私は意見を出し、九代さんの意見も聞きながら考えを纏めていましたと返事をしました。

すると、九代さんが書いておられますように、神様からは、一人では無く、友と話をしながら皆で作り上げなさいと御伝えがありました。

今後は考え出した方法も試してみようと感じています。

現段階では、まだ十分な準備が出来ていませんが、必ず導き出された方法で広めて行く時が来ると思いますので、それまで、お待ち頂けますよう宜しくお願いします。

ほっとした後の直会の事は記憶に残っていませんでした、只、お酒が美味しく呑み過ぎました。
翌日の朝は、頭がボーとなっていました。

今年の高山集いの会は、コロナの影響もそこそこで、時間的な余裕も有った素晴らしい集いの会でした。

私の至らなさからの、宿題を戴いてからの過ごした時間は、今年一年間の神の仕事の芯を示されていると思いました。

今一度、示します。
神ノ大元ノ大神様の御名を世に知らしめなければなりません。
一人一人の心に響かなければなりません。
人間が素直な目で、素直な心で、神様を崇め奉る事が出来るなら、その方に宿る神様は、いつでもその方と共に在るでしょう。
宿る神様のお考えは、連動して一人の人間と共に在るでしょう。

神の仕事を、今年も出来ずに過ごして来た事を、お詫びしなければなりません。

神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております。
神に、神に、ありがとうございます。
神ノ大元ノ大神様 又、各神々様、神に、神に、ありがとうございます。
神ノ大元ノ大神様より連綿と続いている日本全国の御祭神の皆々様方
神に、神に、ありがとうございます。
高山で御守護して戴きました神々の皆々様。
直会に来られました神々の皆々様。
ご一緒されました沢山の神々様。
神に、神に、ありがとうございました。

集いの会は、何事も問題なく運び、落ち着いた集いとなりました、直会に参加し有意義な時間を過ごさせて頂き、神々の、お話も聞ける素晴らしい時を過ごしました。

この度は、高山集いの会の参加の御許しを賜りまして、神に、神に、ありがとうございました。

次回の、参加の御許しを賜ります様、宜しくお願いを申し上げます。

楽しい時間を過ごせた集いの会でした、神に、神に、ありがとうございました。

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高山集いの会

投稿者:神周士の会 九代 投稿日:2021年12月15日(水)20時19分8秒 i118-17-60-252.s42.a040.ap.plala.or.jp   通報 返信・引用
12月11、12日に高山集いの会が開催されました。
今年は、懸念されていた天候にも恵まれ、12月とは思えない程に暖かく、集いの会も穏やかな、とても充実した日となりました。

まるで、高山集いの会開催のために、コロナの勢いが緩み、厳しい気候も調整なされたのでは?と感じるほどでした。

また、宿泊先は、去年Gotoを利用して泊まったところで、温泉・食事共にとても満たされたものがあり、来年は通常の料金で泊まりに来ますからと女将さんに約束をしたお宿でした。今回は、食事が仕切り付というスタイルで予約していましたが、完全個室の部屋食だったのは、驚きと喜びとが重なり、特別感が更に増したものとなりました。

夕飯は飛騨牛を使ったすき焼きメインのコース料理で、お腹がはち切れそうになる程のコースでした。特に、会員の一人がすき焼き奉行であった事が初めて分かり、それ自体とても驚いた事でしたが、今迄に無いすき焼きを堪能できました。

面白かったのは、お肉を焼く前に、これモゴモゴするからねと言って器に入れてくれたお肉が、本当に口の中でモゴモゴした時は、すき焼きに使われている肉質まで言い当てる会員に、ただ者じゃない雰囲気を感じながら、この方は、毎年、露天風呂で雪をせっせと丸めて、人にぶつけて来る変わった人だけでは無かったのだと気付かせて頂きました。
会員の方、ありがとうございました。
また、すき焼きをどこかでご一緒する事がありましたら、すき焼き奉行!
宜しくお願い申し上げます。

次に直会の話しになりますが、今回は道中今迄に無い程の難問を出されていて、直会の時に答えを出す様伝えられていました。果たしてその答えをお出しする事は出来るのだろうかとみなで、頭を悩ませていましたが、やはりみなで話をすれば、自ずと導き出され、出たものを神様に伝えました。

神様からは、一人では無く、友と話をしながらみなで作り上げなさいと御伝えがありました。

神様からは、かねてより物質世界で物事を広めるのは容易い事では無いと仰っていました通り、本当に物事を広める事は難しいものだと私達も最近痛感していた事もあり、今後は導き出された方法も試してみなければならないだろうと感じていました。

現段階では、まだお伝え出来ませんが、必ず近い将来導き出された方法で広めて行く時も来ると思いますので、それまでお楽しみにお待ち頂けますと嬉しいです。

会員が掲げる神々と集い合う世界をつくる為には、神ノ大元ノ大神様の御名を世に知らしめなければなりません。その為には、一人一人の心に響かなければなりません。今迄の宗教の様な、作られた神の御名をどこかに集まり、みなで唱えるのでは、目覚める事は出来ないのです。

人間が一人で素直な目で、素直な心で、神様を崇め奉る事が出来るなら、その方に宿る神様は、いつでもその方と共にあるでしょう。
宿る神様のお考えは、連動して一人の人間と共にあると言えるのです。
それが出来る様になる事が、神様と集い合う、又は構築する事なのです。

今年は、一昨年から続くコロナの猛威で世界の至る所で大変な数の方々が亡くなられています。
そして日本でも、毎日どこかで、誰かが、事故や災害などで亡くなられています。
コロナでは助かったのに、違う所で、亡くなってしまう。
なぜその様な事態になっているのでしょうか。

よそ見運転をしているからでしょうか、危機管理がなされていないからでしょうか。
そうではありませんよね、人間が神から離れてしまったからですよね。
人間だけの知恵では、未曾有の世界になるよと教えられているんですよね。
毎日、毎日、ワイドショーで人間同士が討論している。
解決出来ない、云わば結論が出ない話し合いでしょう。

人間が原点に戻る時が来たのです。
そこに気付いて頂きたいと思います。
神々と集い合う世界を一人一人が構築出来なければ、どうなってしまうのか。
人間の数は無限ではありません。

一人一人に宿る神様が居られて、色んな物事が進んでいるのです。
まずは、宿る神様にお礼を申し上げて下さい。
事ある毎に、お礼を申し上げて下さい。

今年のうちから、口癖にして、やってみて下さい。

高山集いのお話に戻りますが、今回は、直会に初めてお出ましになられた神様が居られて、本当に驚きました。今迄の高山集いの会には、殆どお出になられていましたが、直会には、まずお出にはならないだろうと思っていた神様でしたので、とても身の引き締まる思いでありました。

そういう事もあり今回は酔っている暇は無いぞと覚悟しておりましたが、終盤物凄くアルコールが回り出して、ほぼ記憶が飛んでしまいました。

翌朝、飲んだ酒の度数を見ると、とんでなく高かったのが、その原因だった様です。ただ、不思議な事に、毎回そうですが、高山以外で同じ位の量はとてもじゃないですが、飲めませんし、明くる日の二日酔いが殆ど無いのがいつも首を傾げる所です。

これは正に、神々から守って戴いているからであります。
どんな時も、守って下さっているのです。

そんな事を思いながら、今年の高山集いの会、本当に楽しく、嬉しく、充実した二日でありました。来年は、また、色んな地へ行く予定になっておりますが、その時はまたご報告させて頂きます。

神ノ大元ノ大神様、全てを戴いております。
神に、神に、ありがとうございます。
神ノ大元ノ大神様 又、各神々様、神に、神に、ありがとうございます。
神ノ大元ノ大神様より連綿と続いている日本全国の御祭神の皆々様方
神に、神に、ありがとうございます。

この度は、高山集いの会の参加の御許しを賜りまして、神に、神に、ありがとうございました。
次回も、参加の御許しを賜ります様宜しくお願いを申し上げます。

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事の善悪

投稿者:東林 投稿日:2021年12月14日(火)21時42分45秒 i220-221-59-4.s42.a026.ap.plala.or.jp   通報 返信・引用
今、この世には全てにおいて、物事が起こって、その事に対しての誰一人止める事は出来ない世界に居ますよね。
もし、人にとって事が起こる前の出来事ごとが分かる人間が存在しているでしょうか?この世の中の人間が未来や現在、過去を、まして他人の事など分かるはずもない事、しかし人間ですから、自分を大切にすることは大切なものと思います。
命を、今絶とうする人、!何事においても苦しい方、そして、裕福な方、ちょっと裕福な方、全ての方々が本当の人間社会を営める世の中になれば良いですね。
全てにおいて、悩み、苦しみが無くなる世の中に。

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我欲


投稿者:神周士の会 愉人 投稿日:2021年12月 8日(水)22時28分34秒 zaq31fa8f1d.rev.zaq.ne.jp   通報 返信・引用
愉人です、皆さん、御守護の中でも書きました、人間の我欲について、書かせて頂きます。

我が強かったら、そこには、神様は存在しなくなる事になります、ストップも掛けて戴け無くなると言う事ですね。
人間自身の我欲によって招いている事です。

今一度、言います、人間同士の争いが起こるのも、災害等に遭う事も、人間自身が我欲によって招いている事を、御守護を自ら遠ざけているのは、人間が我欲の為に、行う繰り返しです。

人間の肉体の中には、神が居れる、神の仕組です、人間をコントロールするのが神様です。

しかし、神様が示したストップを守らない事がある、何故、人間がそう言う風にするのか、神が、さしているのでは無く、人間の思いが強いから、そうさせている訳です。

最近の古代歴史の話では、日本が世界で一番古い文明を築いていたとの文献をよく目にします。
縄文時代以前より文明が発祥し栄えていたと、文献には載っております。

国という組織的な制度は無く、人が仲良く、争いも無く過ごしていた。

国という組織的なものが、必要なのは、好戦的な人々、又、争いが有るから仲間を集め組織を作り、自己の守りを固めると言う、身を守らなければならない生活が出来上がっていたから、国と言う制度 組織が必要となってきた。

しかし縄文時代以前には、争いも無ければ、仲良く物々交換をしていて争いが起きなかった。

そこに一部の人間が、我欲を起こし、欲得で争いを起こし、国を組織して、守護しだしたのが太古でしょう。

日本は、神が人間が、最初に降り立った土地であり、神と共に栄えた、ところであったと聞いております。

神と人間が共存する太古の世界が存在していたと聞いております。

太古日本では神と人間が、素晴らしい間柄での世界を構築していました。
その間柄を持って、全世界に神々と人が、太古日本から世界に散らばっていったとも聞いております。

宗教発祥以前には、世界中で神の存在が確認され、神々と話をしていた。

神々と話を、行うには、自分自身に宿る神が居り、その神様を通じて、神様からの話を 聴っていた。

神と話が出来る人間が少なくなり、聴ける者が代表となり世の中に貢献していた。

その後、欲深い人間が人心を集める為、神からのお使い人と言う人間を設け、利用して 宗教を作っていった。

神の声を直接聞いた聖者ではなく、その話を聞いた人間が記憶し記録したのが、聖典、
経典等に成り、それを我欲の為に人間が悪用してきたのが、現代の宗教にも影響している。

元々は、日本から出て行った神々が良いと思って行った事、人間が神々を敬う崇める事を良いと思って、行わせた事を覆して来たのは人間です。

人間が我欲で、それを全て変えて行った。

日本には日本の独特の信仰もあったのですが、外国から宗教が入って来て以来、その崇めるという行為を強制的に、武力、武器とか、そういうものを持って制圧して行って、無理やり教え込み、それが正しいと言って強制してきたのが宗教でした。
しかし何一つ正しくなかったと言う事が今の現実でしょう。

日本から各方面に教えに行った神々様はホントにお辛い思いをしたでしょう。
そうせざるを得んと言うか、神の世界に帰った時に、人間が違う方向を向き我欲が先行する

はっきり言って勝手に人間が作ったものが今迄の宗教の考え方。
我によって、神様の捉え方が違う。

人間達が、重要視してきたのは、神々との繋がりではなく、誰が誰を信じるかと言う事だけです、要は、信じ込ます為には何が必要なのかを、表現してきました。

特に政治的な力に利用され、日本でも、古事記、日本書紀等、政治の力に神様を利用していました。

人間が我を出し、自分が神様をどう言う風に利用できるかと言う考え方になっているのが宗教。

神々には名前など無く、選ばれた神社、社に、み役として人間を見守られる為に、宿られて居ます。

本来の神様との繋がり、神心の構築が、なおざりになり、神様に対する本当の感謝、挨拶など形だけに也、神の実在を知らず実感できない、神と通じる事もない、人間が持つ我によって、神との繋がりを閉ざして来てしまっているのが現在の人間達です。

私たちは、神々の実在を、神様の優しさを伝える為に。
又、神様に挨拶に行き、感謝をする事を通じ、繫がる事を伝え弘める、活動をしております。

神様と繋がりやすいのは、神様が、居られる神社、社ですが、思いを持って祈るのなら、その場で、神様と繋がる方も居られると思います。

どうぞ皆さんも、神様と、お会いして感謝を伝え、お話をして下さい。

神様はいつでも、待って居て下さいます。

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御守護

投稿者:神周士の会 愉人 投稿日:2021年11月24日(水)17時07分5秒 zaq31fa8f1d.rev.zaq.ne.jp   通報 返信・引用
愉人です、皆さん、今回も御守護について、続きを書かせて頂きます。

御守護でストップを掛けて戴だいている中で、次の事もストップを掛けて戴いている事柄です。

先人の方々が言い伝えてきた災害とかの教え、印を残して、ここより下の土地には住まわないように等、教えが御守護のストップになります。

しかし、先人の方々が作った災害とかの、言い伝え等への、理解を、しょうとする思いや、尊敬する心等、感謝が足りていない人々が多いです。

何故、それを表記するのかと言うと、先人の方々が、伝え残す事柄が、神の領域の世界と言うか、仕組みなのです。
災害等が起きた場所、そこに残すと言う事は、神の領域を残していると言う事になります。
全てに於いて、神々が動かれるから、仕組みが動いているのです。

だけど、先人の言葉を聞きなさい、信頼しなさい、行動しなさい、そうすれば貴方の命が助かりますよと伝えられていても、反応しない、行動しない。

災害でも洪水でも、そうですが、ここまで、潮が来ましたよとか、地震の時はこうなりましたよ、その時は、こうしなさい、ああしなさいよと言う事を残しているのに、関わらず。
わざわざ、それを実行しない人間が多い、先人の方々が残した書物、神社仏閣等に残る、言い伝えなど、まさに、御守護の見本の如き、ストップを見せて戴いている事柄なのに、実行しない、見る事も、聞く事もしない。

命を落としても仕方の無い事をしている訳です。

その場に立ち合い、何故こうなるのかと問いても、災害は起きる。
人々が、よく言う言葉で、何で、こうなるのか、では無く。
残して戴いた、伝えを守らなかったから災害等に遭う事になっている。

災いが繰り返されると言う事は、同じ事が、ズーと起こっていると言う事です。

同じく、人間同士の争いも起こっている、でも争いは、ズーと争っている訳でも無い、どこかで止まる。
でも、それが、又、起こる。
でもまた止まる。
でも、又、起こる。

この繰り返しは、これは神が、仕組まれて繰り返す事ではなく、人間が行う繰り返しです。
何故、人間がそう言う風にするのか。

人間の中には、神が居れる。

神が思えば絶対に止めれます、何かにせよ、何かをしようと思った時にはストップを掛けるのが神の務めと言うか仕組です。

人間の中に居る神の仕組です、人間をコントロールするのが神様です。

しかし、神様が示したストップを守らないのは何故かと言うと。

神が、そうさしているのでは無く、人間の思いが強いから、そうさせている訳です。

よく言われる言葉に、歴史は繰り返される、これは当たっていると思います。

人間が自身の我欲によって招いている、我が強かったら、そこには、神様は存在しなくなるって事になります、ストップも掛けて戴けなくなると言う事ですね。

人々の話、伝承などの伝えを聞くのか、聞かないのかの判断を自分でしていると思っていますが違います。
本来、自分がするのではなく、自分の肉体に居る神がする。
だからストップが掛かる、御守護が戴ける。

今一度、言います、人間同士の争いが起こるのも、災害等に遭う事も、人間自身が我欲によって招いている事を、御守護を自ら遠ざけている事を理解して下さい。

皆さんの周りを、しっかりと見て下さい、 御守護と、お仕組みを、沢山戴いている事が 見えて来ると思います。

神様と先人の方々に、感謝ですね。

神様に逢いに行って下さいね。

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御守護

投稿者:神周士の会 愉人 投稿日:2021年10月28日(木)21時12分20秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp   通報 返信・引用
愉人です、皆さん、御守護について、続きを書かせて頂きます。

当然、御守護をしてくださる時に、率先して働いて頂いているのは、神々で有り、氏神様です。
氏神様が、いなければ、生も死もままならない、人間の日々の生活の面倒を見て戴く神様です。
生まれてから死しても、導いて頂けるのが、氏神様であります。

旅行をするのにも、目的地の氏神様、その目的地に行くまでの間の通過する地域地域を担当している氏神様との連携を取り合い、我々を御守護してくださいます。

御守護を戴くには、神様と、繋がりを持たなければならない。
その繋がりの頂点には 神ノ大元ノ大神様が、おられます。

この繋がりを形成する為には、肉体に宿る神が、存在しなければ、人間と神様の仲介役が出来ない。
宿る神が、いなければ 氏神様との連携が取れず、神様との仲介は成立しない。
御守護を含め、あらゆる仕組みが成功しなくなる

宿る神は、人間に直接、閃きを与えてくださる方で、神々、又、大神様の想いを、中継してくださる。

いろいろな方法を使われ物質的にも仕組む、心にも、ひっかかるような状況も作る。
又、その場その場にもよるが、神ノ大元ノ大神様の直系の神々の、お話も伝えてくださる。

御守護のストップが掛かるのは、自分が、するのじゃない、自分の肉体に宿る神がするんです。
だからストップが掛かるのです。

肉体に宿る神から、見放された者っと言うのは、何をし出すか分からない、人を傷付けたり、又は、自ら自分の命を絶ったり等。
見放された者は、もう凧と一緒、糸の切れた凧と一緒、必ず落ちて行く、上がるんだけど切れたら落ちて行くしかない。

そうならない為には、どうしたら良いのか。

ストップを掛けて下さる神様に、御守護、感謝を、しなさいと言う事です。

元来の姿で在る、自分自身に宿る神と通じ合えば、自然と大神様、神々の方々と通じる。
現状は、通じていなければならない事を忘れているかの如く、宿る神を、蔑ろにしている。

又、自分自身を自分自身で、汚している事にも気が、ついていない。

人間の傍には必ず御守護して下さる方々が、いらっしゃいます。
そう言う方々と、いつも、お話をしていれば、必ず守ってくださいます。

御守りに頼る事は無いです。
御守りが有るとか無いとかではなくて、いつも、そばにいらっしゃるから、その方々から、いつも御守護を戴ける。
いつも、そばに、いらっしゃるから、それに感謝して、御守護を戴いていなければならない。

今回、あらゆる事からお守りくださいと、お願いする言葉を書いておりますが、意味が、解りにくいです。
あらゆる事ってどう言う事なのか、教えて戴いたのは、あらゆる事って言うのは、自分が起こす行動、人間が起こす行動の全てを意味します。

今一度申します、御守護のストップを掛けるのは、自分が、するのじゃない、自分の肉体に宿る神がするんです。
ストップを掛けて下さる神様に、日々御守護を戴いている事を、感謝しましょう。

皆さん、自分の肉体の中に居る神様に、どのような感謝をすべきなのか、考えましょう。

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真素直に実行するということ

投稿者:神周士の会 九代 投稿日:2021年10月17日(日)16時39分57秒 i118-18-189-200.s42.a040.ap.plala.or.jp   通報 返信・引用
私は今、前人未到の体験の真っ只中にいます。
これからの私がどうなって行くのか、私自身もとても楽しみに暮らしています。

当会で活動し始めた3年目、私は関節リウマチになりました。
今思えば、活動し始めた年の暮れ、朝目が覚めたとき、身体の関節にある潤滑剤が流れ出る様な感覚があり、不思議に思っていたその後に、段々と時間を掛けて、手の強ばりや膝や関節の腫れ、立ち座りのし辛さ、座った状態で靴下が履けず何分も掛かる様になり、背中が痒いとき自らの手が届かなくなるなどの変化を経て、働くことすら辛くなった3年目の暮れに関節リウマチであると診断を受けることになった訳です。

当時の私は、それまでに関わって来た宗教活動や、体験した様々な出来事から、自分の行動は神のお役に立っていて、喜ばれることを沢山させて戴いた一人だと誇らしく思っていた節がある。当会でも何か役に立たせて頂きたいと思いながらの診断結果であった為、自分になぜその様なものが降りかかって来たのか分からずにいました。

診断後、自分が会に入った理由とは何か、その事ばかり考えていました。
医者の言う通り、そのまま一週間入院し、強い薬を投与して様子を見ながら通院という手もあったのでしょうが、私としては、本来の人としての姿に戻り、暮らしを自分を取り戻していけば、もしかすると、そのうちに回復ということも起こるのかも知れないと漠然と考えていました。

本来の人としての姿とは、日々の暮らしに感謝して、毎月の暮らしに感謝すること、そしてきちんと月に一度の氏神様への挨拶を続けていくことでした。
ただ、最初の数か月は本当に大変で、身体がいうことを利かないのが、こんなにも不便なものかとつくづく感じる毎日でした。

今迄は気付かなった、通りのちょっとした段差や、滑りやすいタイルなど、もし今ここで滑ったら自力では起き上がれないという恐怖心で、一歩一歩確認しながら歩いたり、股関節に激痛があってどこかで座って休みたいのに、どこにもベンチが無かったりと、世の中というのは、本当に身体に異常が無い人々の為に作られている世界なのだと痛感しました。

そういう暮らしであっても、少しずつその状態に慣れて行って、痛みや辛さはあるものの、妻が寄り添ってくれることや私の様に足が悪い人がいたら、何かの支えになりたいと思う様になったよと聞いた時は、心が熱くなりジーンと来ました。
周りの人々の優しさ、支えてくれる家族、私がどこかで落として来た感情を呼び覚ませてくれる病気だったのかも知れません。

高山の集いの会にも、出来る限り行きたいと思いながら、始発の新幹線に乗り遅れず行けるだろうか、乗り継ぎはうまく出来るだろうか、旅館で食べる夕飯は正座だろうか、椅子ならいいななど、ちょっと考えただけでも身体がいうことを利かないもどかしさと共に、多大なる迷惑を色々な方々に掛けてしまう事にちゅうちょしてぎりぎりまで行くと言えずにいましたが、なんとか周りの方々の支えもあり、辛い状態のなか参加をさせて頂きました。

参加をしてやっぱり来て良かったなと思ったのは、神様に自分の状態を見守って戴いているというなんとも知れぬ心地良さがあったこと、布団に入って眠ると、睡眠時間は短くても何時間も多く眠った感じでとても身体が楽になったように思うところでした。

それと、その時の体調に沿ったアドバイスが戴けましたので、帰ると真素直になって、実行していました。
自分にできることは、アドバイスをいかにして実行していくか、実行するためにはどう動くべきかと、あれこれ試行錯誤して行動しました。

私は、自宅療養を一年五ヶ月おこなった訳ですが、一年過ぎた辺りから、身体が動ける様になったら、再就職の活動をしないとならないなと思い始め、傷病手当は一年六ヶ月間と決まっていましたので、四月位に動ける様になれば、就職活動ができるなと思っていましたら、その通りに動ける様になり、五月から働き出す事が出来たのです。

最初の会社は、午前十時出社で、フレックスタイム制を導入したところでしたから、ちょっと朝体調が悪いなと思っても、朝九時からやっている整骨院に寄って出社ができたり、徐々に仕事に慣れさせて貰えるような進行と新たなる事業展開に加わったりと、充実した日々を送らせて頂きました。
ただ、トップがあまりにもワンマン過ぎて、社員がどんどん辞めて行っても堂々と自分は今のスタイルを変えるつもりは無い!と断言するような方だったため、居心地が少しづつ悪くなっていました。

すると、ある夜突然トップに呼び出され、こんこんと皮肉や罵声を浴びせられ、3時間程詰められました。話を聞きながら、ここはもう去るべき時が来たんだなと感じていました。
入社した時は、あんなにも軽快に動いていた身体も段々と動きづらくなってもいました。

身体の調子を戻しつつ、働ける会社は無いものかと、ハローワークに行き検索したところ、辞めた会社の事業展開時に学んだ事を主にしている会社があり、気なったので履歴書を送ってみました。直ぐに会いたいと電話があり、入る事にしました。そこは、電車で通える所でしたが、最寄り駅から片道二十分は歩かねばならず、自宅から換算すると通勤で往復一時間半位歩くこととなり、車通勤もNG、残業もNGの会社でしたから、とにかくコロナも途中で出て来たこともあり、九時五時の規則正しい生活が送れました。

お陰で、体調は本当に良くなりました。
そんなある日、会社の上司から呼び出しがあり、コーヒーでも飲みに行こうと誘われました。内容は、コロナの業績不振による退職依頼の話でした。話を聞きながら、そうか、ここも、去るべき時が来たんだなと感じました。ただこの時は、入社した時よりも更に軽快さが増し、一年四ヶ月後の良好だった体調をも凌ぐものでした。

次に行くべき所は、もう既に感じていました。
コロナの前に、誘われていた会社が一つあったのですが、通勤時間が片道一時間半掛かることと、事務所の玄関まで手すりの無い十数段の階段を上らねばならないことがネックに感じ、体調的に自信が持てなく、断念していたのです。

その会社に入るためのリハビリ期間があり、心と身体を鍛える時間を与えられたのでしょう。という事が今なら分かります。

なぜ、この様な過程が戴けたのかについて、神様に対し、全てを戴いていることに感謝する。
全てとは、自分自身も肉体も病気も苦しさも周りの人々も環境も何もかもを含めた全てをという意味合いです。

肉体を維持するためには何かを食べなければならない。
何かを食べる為には働かなければならない。
働く為には、健康な身体が必要です。
健康でいる為には、日々暮らさしてもらえる感謝が必要なのです。
どんな状態であれ、全てを戴いていることに感謝なのです。
一人では生きて行けませんから、周りの人々の存在も用意して下さっているのです。自分が成長する為に必要なものなのです。

そういうことを踏まえて、日々生かされていることをコツコツとありがたさを感じながら生きていくのです。
奇跡の様に一瞬で物事が変わることはないと前回書きましたが、日々実行することがなぜ必要かと言えば、人の中にある我欲や傲慢さなどは奇跡の様に一瞬で無くなりはしないからです。
神々に日々感謝することにより少しづつ溶かして行かなければ、本当の自分の身にならないことを神様はご存知だからなのです。

日々きちんと実行していく健気さ、本当に通じて欲しいと願う真素直な気持ちと努力、この思いと行動が自分の中にいる神様と通じ合えれば、私が思うことと私の中にいる神様の思いが連動して、どう私が動いたら良いかを自然と流れる様にして下さっているのです。

これが出来る様になれば、私が今体験させて頂いていることと同じ様に出来る様になって来るのです。

書かせて頂いたことは、空想ではありません。

本当に今、ここで起こっていることなのです。

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御守護

投稿者:神周士の会 愉人 投稿日:2021年10月15日(金)23時40分12秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp   通報 返信・引用
愉人です、皆さん、御守護について、続きを書かせて頂きます。

御守護を戴く中において 神鍛えが有ると言いましたが、神々が、その人間に対して 成長を望む為に、試練を与える事が有ります。

我々会員の中において、肉体的、苦悩を与えられ、不治の病とまで言われていた体が4年を、かけて普通の健康状態に戻ってきています。
歩くのも辛く、正座すらも、出来なかった状態の肉体が、神の導きと言うか、仕組みで、病院には入院せず自己の治療方法で健康な体に戻ってきています。

この苦悩の間に会員の方が、どれほど成長したかは、神様しか、解らないですが、 鍛えの為の苦悩が与えられた例が、身近に有りました。

御守護は物事が起こる前にストップを掛けて戴ける事が本当の御守護では有りますが、神の鍛えに会うのも、御守護の下で戴くもので有ります。

しかし 与えられた事に対して、我が先行して、起こる事を拒否したり、行わなかった場合は 違った仕組みが、又 、起きて来る、苦しみの度合いも、種類も違ってきます。
1つの苦しみを、それを乗り越えれば成長に繋がるのに、それを拒めば、神様は、より良い成長を期する課題を与えてくる、言えば、もっと苦しみを味わう、行いが起きてくる。
すべては、御守護の下で苦悩と鍛えが行われるが、それを理解せず、神に対して、反発をする。

神様から 人間に対し伝えられている言葉に、行いを正しい方向に導いた時に、それを真素直に遂行する事が神の喜ばれる事である。

御守護の下でストップを掛けられるのも、人生において鍛えへの苦労が、与えられるのも、御守護の下で、あると言う事を人間は、自覚しなければならない。

正に御守護は、神が人間に対して、良かれと思い、仕組まれている事であり、苦しみも、又、神が与えた優しさでも有る。
苦悩では有るが超えねばならない、障害が有る、これを越えれれば、進歩するのが解っているので、神様は鍛える。

人間を進歩さして、より良い満足を与えようと、優しさで鍛えを行う。
物事に挑む、実力の有る無しかを見極め、無ければストップを掛け、 実力が有れば鍛えに向かわさせ乗り越えさせる。

次々段階を踏む時点、起点でもストップを掛けて下さる。
成長したい思いが有り、お願いをすれば、より良い段階毎にストップを掛けて戴ける。
精神的な状態、肉体的な状態等、色々な時間、時期の状態でのストップを掛けて下さる。

止める為のストップだけでは無く、鍛えを与える為のストップが有る、これが大きな御守護でしょう。

本物の、御守護を戴いて居れば、御守護の下、飛躍が出来る、これは正に感謝するべき事です。

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御守護

投稿者:神周士の会 愉人 投稿日:2021年10月 9日(土)22時03分44秒 zaq31fa8eba.zaq.ne.jp   通報 返信・引用
愉人です、皆さん、神様に逢いに行かれましたか。

御守りって要りますか?
なぜ御守りを身に着けますか?
守って戴きたいって思いが有るからでしょ?
そこには神様に守って戴きたい。
これを持っていたら災いから守って戴けるのではないかと、言う思いが有るから、そういう御守りを持つようになったんでしょう。
ですが、御守りが守ってくれる訳では、ないですよね?
御守りを持っているとそこに神様が居るという自然な、人間の思いが有るから、いつも神様が横に居る、傍に居る、だから守ってくれるんだ、御守りが有るから余計に、それを感じるだけであって、只、その御守りが有るから御守護して下さると思い、傍に居る、神々の方々を蔑ろにしている面も有ります。
御守りが無かったらどうします?

我々は御守りは持ちません。

なぜかと言うと。
御守護とは、痛み苦しみの時、窮地に陥った時、絶対絶命の死地に行く時などの苦しい処から救って戴くのが、御守護だと思っていましたが、本当の本物の御守護とは、苦しくなる前、危機に陥る前に、在るのが御守護だと理解したからです。
前回にも書きましたが、自分を守って貰える、自分が、そういう災いに行かない様にブレーキを掛けれる。
その時に、何が存在するのかと問えば、答えは、神の存在が在るだけです。
何が有ってもブレーキが利かなくても、神様に、お願いしたらブレーキを掛けて戴ける。
で、そこに行かなくなる、そんな危険な場所を知る必要も無い。
日々の生活の中で神様に対して、お願いが、できる関係を 構築して行く我々が言う 神心の構築が出来て、おれば お願い事が、できるほどの神様との接し方が大事、普段からの挨拶を行うことから、いつでもお願いを聞いてもらえる関係を構築する。

現在、神々は、人間、個人個人に物事を選ばせてます、その結果、自分の我が儘を優先して選んでるのが現状。
神様に対する、考え方、想い、接し方等、我が優先しています。
その結果として、御守護を戴ける人との差が表れています。
御守護を戴いている方は、危険な人々に逢う事もない(コロナ等の感染症)病気。
同じ病院に行くのにも、感染症を患っている人が居る時に行く人も居れば、御守護を戴いている人々は何も危険が無い、同じ場所に行って居ます。
人間、個人の我が優先しているのが現状ですね。
人々に対して言っていますね。
外に出てはいけない。
けど、外に出ますよね。
言う事を聞かない、なぜ?
なぜ無視しているんですか、
なぜ言う事を聞かないんですか?
言う事を聞ない様にしているんですかって、疑問を持ちます。
だから、こうして蔓延している訳ですが。

日々 お傍に必ず御守護して下さる 神様方が 居られると言う事を 自覚し、いつも守られている事を 忘れる事なく神々に感謝の心を持って接して、そう言う方々と、いつもお話を、しておれば、神々は人々に対して広く優しい心を持って接して戴け、御守護を戴けるのです。
神様に対して、御守護のお願いを、する事が大切で有るのは、神々の存在と日々、神様から御守護を戴いている事を自覚する事と、神々が存在しなければ、肉体を持つ人間が生きていけない事を忘れない為に、祈り、挨拶、お願いをする。
神様に、お願いするのは、自分が、そう言う災いの方向へ向かない様、災いを受けようとしても、その前にストップを掛けられる。
但し、神様の鍛えが有って苦しく成る事も有りますが、全ては神様が成長を期待しての状況も有りますが。
日々、あらゆる事から御守り下さいって言うのが、絶対大事。
お願い事をしてはいけないじゃない、お願い事をする事が大事、お願いできることが大事。
あらゆる事からお守りくださいって言う言葉、只、単に使うのでは無くて、あらゆる事から御守りくださいって言うのは、自分達がストップ掛けると言う事です自分がストップ掛けれると言う事なんですよ、


皆さんも神様に逢いに行ける、ご縁を願って下さい。

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奇跡はあるか

投稿者:神周士の会 九代 投稿日:2021年10月 2日(土)23時18分31秒 i118-18-189-200.s42.a040.ap.plala.or.jp   通報 返信・引用
皆さんが思う奇跡とはどの様なものでしょうか。
私がかつて思っていた奇跡とは、大事故に遭遇しても助かる事や、末期の癌が消えたなどで、人知を超えた現象だと思っていました。

日本人の多くは、例え危険な事に巻き込まれても、何かが起きて自分は助かると思う傾向にあると誰かが言っていた様に、何かが起きた時に助かる事を奇跡と捉えている方が殆どではないでしょうか。

宗教においても、奇跡が起こる団体という触れ込みが出ると沢山の人が引き寄せられて行き、引き寄せられた人は、いつか自分の身に起こる不幸な事柄から助けられるのだろうと考えながら活動しています。

しかし、ここで断言します。
皆さんが考えられている様な奇跡は、起こりません。
残念ながら起こらない様に仕組まれているのです。

この世で人間に起こる事には全て意味があり、その人その人にとって起こらなければならないから起きているだけなのです。また、起こった後の思いや行動にどの様な変化が起き、どうなるかは、その人に任されている事であり、他人がどうこう出来る問題では無いのです。

こちらに入会すれば、貴方に付きまとっている不幸現象の元を又は悪霊を追い出しますから、何十万円をどこそこに振り込んで下さいという団体がありますが、そんな事ができる人間など存在しません。

神の世界では許されていない事なのです。

以前集いの中で、神の世界では、正と邪が完全に分かれているが、人間が住むこの地球には正と邪両方の影響を受けているとあった様に、邪の影響を受けている人間の所や団体に入ると、人救いや霊救いなどをする様になります。しかしやればやる程、自分自身に本来備わっていたものまでも投げ出さなければならなくなり、病気等になって苦しむ事になるのです。

私自身が良い例と申しますかですが、私も以前そういうところに所属していて、人救いだの、霊救いだのと奔走し活動していた時期がありました。
やればやる程、周りから雰囲気が怖くなったと恐れられる存在となっていました。
一生懸命に、人救いや霊救いと称して活動していたものは、その人その人に必要だから、その様な状態になっていただけであり、その人が受けるべくして受けていたものでした。

そういう事も気付かずに、神様の邪魔になる事を何年も掛けてやっていた訳です。

神様の邪魔になっていた事に気付いたのは、自らがリウマチという病になってから大分経ってからです。
人間が他人を救う事など誰にも出来ない事なのです。

救えるのは、自分自身だけなのです。
何かが自分に起こる前に、何も起こらない様にする事が大切な事です。
何も起こらなかった平凡な日々を、自分の中にいらっしゃる神様に感謝して下さい。
地球に生まれた以上は、いち人間としていかに生きるかなのです。
自分の命を投げ打ってまで他人を救いなさいなどは、無いのです。

思い悩む人が傍に来たら、助言してあげたら良いのです。
まずは、自分の中にいらっしゃる神様に感謝する事が大事な事なのです。
そうすれば、活路が開けてゆきます。

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