論語でジャーナル’25
6,曽氏曰く、以(もっ)て六尺の孤を託すべく、以て百里の命(めい)を寄すべく、大節(たいせつ)に臨みて奪うべからず。君子人か、君子人なり。
曽先生が言われた。「幼い孤児(の君主)を、その人に預け、後見人になってもらえるような人格。また、一国を預かって、摂政となり王子の後見人となりうる人格。大事件を前にしても志を返すことのない人格。そうした人格は、君子らしい人と言ってよろしいか。そう、君子らしい人である」。
※浩→「六尺の孤」の「六尺」は、1尺を(当時の尺度で)ほぼ23センチメートルとすると、1メートル38センチ内外になる。「六尺の孤」は未成年の孤児を指す。
「百里」は当時の標準の都市国家の規模が「百里四方」であったことから、大名の国ひとつを意味する。1里は約1キロで、百里四方は100キロ四方になる。
幼い孤児を預けて摂政として貢献できて、国家が重大な危険に瀕している時期にも、自分の忠義を守り通せるような人が、まことの君子(紳士)だという、この理想を曽子は弟子たちに叩き込んだのでしょう。孔子が理想とした周公・旦は周の西伯昌(文王)の四男で、次兄の初代武王存命中は兄の補佐をして殷打倒にあたり、武王の死後は武王の少子(年少の子)の成王が位に就いた。成王は未だ幼少であったため、旦は燕の召公と共に摂政となって建国直後の周を安定させました。国家の後継者が親を亡くした幼子であるような場合、予想されるのは、「お家騒動」ですが、当然家督を継ぐべき人が、継がないで摂政として補佐役にまわることでお家騒動を防いでいます。お家騒動といえば、歌舞伎では何と言っても、伊達騒動を描いた「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」です。これをベースにした市川猿之助丈(三代目)の「伊達の十役」についてはたびたび紹介しています。今も言いたいけどやめておきます。