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スレッドNo.104

論語でジャーナル’25

7,曽子曰く、士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己れが任となす。亦た重からずや。死してのち已(や)む、亦た遠からずや。

 曽先生が言われた。「士、つまり志を抱く男子は、堅固な意志を持たねばならぬ。その任務は重く、目的までの道程は遠いからだ。仁徳の完成を自己の任務とするのだ、重くないとどうして言えよう。仁の完成は死ぬまで努力し続けて終わるのだ。その道程は遠くないとどうして言えよう」。

※浩→「弘毅」は日本では名前にも使われています。「ひろき」と読みます。子に対する親の願望が感じられます。
 この一条は、吉川幸次郎先生の解説によると、一連の曽子の言葉の中でも、あるいは『論語』全部の中でも、最もすぐれた一条だそうです。
 「士」は、貝塚茂樹先生は詳しく説明されていますが、ここでは吉川先生に従って、簡素に「若手の官吏」、あるいは広く「教養ある人間」と解釈しておきます。でも少しきちんと説明すれば、固有の上層貴族である「卿(けい)」「大夫(たいふ)」に対して、「士」は当時は下層貴族であったそうです。孔子は主に「君子」を理想人格として描いていて、「士」についてはあまり論じていませんでしたが、曽子の時代には「士」の位置が明確になり、世襲の貴族に代わって、学問・政治・武芸などの才能をもって諸国の君主や豪族に仕え、国家社会の発展に重要な役割をつとめました。曽子は、その「士」に対して、さらに高遠な仁の徳の完成という任務があることを自覚させようとしました。徳川家康の遺訓に、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」とありますが、この「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」は、曽子の「任重くして道遠し」から発想されたと言われています。
 アドレリアンの私たちにとっては、「共同体感覚実践」の道は遠く、死ぬまで続くということになります。世間はますます「自己執着」へ沈んでいく中、微々たる実践ではあっても、アドレリアンとしてささやかな「共同体感覚実践」の歩みの一歩を重ねていくしかありません。昨日は、今年度の日本アドラー心理学会総会がオンラインで開催されました。これまでは予定時間を大幅に超過することが多かったですが、今回は予定時間を60分から90分に延長していたことと、細部に文句を言うやからが姿を消して、参加者全員が会の進行に協力的だったために、70分で終了しました。今日と明日は東京で「学術集会」です。アドラー心理学の別の学術団体とコラボで初めて開催されます。野田先生ご存命中には想像もしなかった事態の変化です。私は不参加ですが、児玉先生は飛行機で行かれました。さっき岡山空港へ着いたとLINEで連絡がありました。

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