論語でジャーナル’25
9,子曰く、民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず。
先生が言われた。「人民を従わせることはできるが、なぜ従うのか、その理由をわからせることは難しい」。
※浩→普通には、「人民というものは、政府の施政方針に従わせるだけでよろしい。何ゆえにそうした方針をとるか、その理由を説明する必要はない」と解釈されていますが、吉川幸次郎先生も貝塚茂樹先生もこの説はとられません。貝塚先生によれば、「人民は政府の法律によって、思いのままに動かせるかもしれないが、法律を読めない一般市民に、十分に法令の出された理由を納得させることは難しい」と言っただけである、と解説されています。人民を一方的に法令で束縛したらよいという専制主義的な思想を説いているのではないのです。それでもこの文は、「人民は従えるだけでいい。従う理由など知らせなくていい」という意味にとれます。徳川幕府は朱子学が重く用いましたが、その朱子が、「政府の施政方針は、人民の全部がその理由を知ることが理想ではあるが、それはなかなか難しい。随順させることはできても、一々に説明することは難しい、と、理想と現実の距離を嘆いた語である」と注釈しています。吉川幸次郎先生はそう解説されます。
孔子が説く理想の政治は、「徳治主義」で、以前『為政篇』にあるように、「これを導くに政をもってし、これを斉うる(ととのうる)に刑をもってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば、恥ありてかつ格る(いたる)」ですから、専制主義とはつながりません。先日のNHK大河ドラマで、発禁書物を発行した罪で捕らえられた蔦谷重吉を助けるために、妻が奮闘しますが、そのとき「論語」のこの箇所を引用していたのが印象的です。政治とはかくあるべしと思います。新しい内閣が成立しました。支持率がとても高いのは高市首相の人格が好感が持たれているんでしょう。あちこちで硬直化している今の社会の風通しがよくなることを期待します。
「理想と現実の距離」と言われると、アドラー心理学では「劣等感」です。劣等感という言葉も、世間では「他者に比較して劣っている感じ」を言うようですが、アドラー心理学でのもともとの意味は、「(自分の思い描く)理想と現実の乖離」を言います。この乖離(距離)が大きいほど、現実的な行動からは遠ざかり、最終的には、「口実」を設けて、理想の追求から逃避します。この口実のことを「劣等コンプレックス」と言います。人は誰でも、今よりも先が「まさっている/強い/有能/快適/幸福」であるようにという理想(目標)をイメージして、それを追求して生きています。それはそうでしょう。今より将来のほうが不幸であるように願う人はいないでしょう。人生に未来がある限りは、人は誰でも「劣等感」を持ち、理想/目標に向かって動きます。この理想/目標が現実的なものであれば、人は勇気を持って、劣等感を補償していけます。劣等感が大きすぎて、劣等コンプレックスを常用する人を「神経症者」と呼びます。
学校では、教師が生徒に、「これこれをしてはいけません」などと注意をすると、生徒は「なんで?」とすぐ理由を聞きます。先生方は、そのとき生徒を説得するのに困難を感じられることも多いでしょう。孔子も朱子も同じことで苦慮したのでしょう。アドレリアンには、その理由はわりと簡単に言えます。3つの法則に照らして、「それはこうだからです」とやさしく、しかも、きっぱり言います。3つの法則とは「自然の法則」と「社会の法則」と「論理の法則」です。