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スレッドNo.118

論語でジャーナル’25

18,子曰く、巍巍(ぎぎ)たるかな、舜(しゅん)・禹(う)の天下を有(たも)てるや、而(しこう)して与(あずか)らず。

 先生が言われた。「高く大きく、正々堂々と、立派なものだね、舜帝と禹帝が天下に君臨されたのは。しかし、独裁的には関与しないで、多くの賢人たちに委任して任せた」。

※浩→考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝は殷(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)だとされていました。天乙(湯)が「夏」を滅ぼして建立したとされています。「夏」は伝説上の王朝だとされていましたが、最近は実在したと考えられるようになってきているそうです。「夏」を開いた禹帝は長年氾濫に苦しめられてきた黄河の治水を見事に成功させることで、舜から帝位を継承されたそうです。高校時代に習った「世界史」の授業を思い出します。自分も在職中に何度か世界史を担当したことがあります。38年の教職で、ほんの数回でした。あとは「倫理(社会)」と「現代社会」が最も多く担当した科目です。
 それはさておき、中国古代の偉大な帝王は、自分が独裁的に支配するのではなく、賢人たちに委任していたということは、のちのちの世にも、いくらか例があります。今風に言うと、「ブレイン」ですか。「三国志」の劉備玄徳は、軍師として諸葛孔明を、三顧の礼で以て迎えました。それまでは、桃園の誓いで兄弟の契りを結んだ張飛と関羽と、のちに加わった趙雲子龍が玄徳を助けていました。彼らは武力は凄かったのですが、肝心の「智慧」において不十分だったのでしょう。それで孔明が、少しのちには龐統(ほうとう)と、当時の二大賢者がともに劉備玄徳に仕えることになります。その孔明の進言を、情に厚い玄徳は自分を慕う民を思うあまり、何度か拒否して、痛い目に遭いますが、孔明は「殿の命とあらば……」と受け入れます。これは立派だと思いますが、ライバルの曹操と異なる点はここでしょう。政治家としては冷徹に見える曹操のほうが適していたのでしょうが、「判官贔屓(ほうがんびいき)」の日本では、玄徳の人気のほうが圧倒的です。
 現代では、裸一貫から成功した企業人はおそらく、独裁体制をとらないで、プレインの進言を大いに採用したであろうと、推察されます。私が勤務した職場の管理職でも、何人かのお方がそうでした。もちろん、ワンマンもいました。ここに書けませんが、今、頭の中でそれぞれのお方を思い出しています。部下の進言に謙虚に耳を傾ける度量の備わった管理職の組織が、うまく機能するのは言うまでもないことでしょう。

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