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スレッドNo.119

5月11日(木)

19,子曰く、大なるかな、堯の君たるや。巍巍として唯(ただ)天を大なりとなす。唯堯これに則(のっと)る。蕩蕩として民能(よ)く名づくるなし。巍巍としてそれ成功あり、煥(かん)としてそれ文章あり。

 先生が言われた。「偉大なものだ、堯の君主ぶりは。堂々として、天だけが偉大であったが、ただ堯帝だけが天の徳を手本として行動され、その道は広々して、人民も形容する言葉に苦しんだ。堂々とした恰幅で手柄を収められ、華やかな文化を創り上げられた」。

※浩→不思議ですが、貝塚茂樹先生はこのあとの解説はありません。吉川幸次郎先生はかなりの量の説明をされています。それによれば、この条は、前条よりもさらに遡って、「堯」の偉大さを賛美している。堯帝はすぐれた道徳的能力者であり、天象を観察して暦を整え、微賤の身分にあった舜を後継者として抜擢しました。今は、堯帝は伝説上の存在になっていますが、孔子の時代には、歴史として意識されていたのでしょう。
 堯について、少々検索しみました。
 司馬遷の『史記』では、「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」と最大級の賛辞で描かれている。孔子が尊敬するはずです。天文を観察して暦を作らせ、1年を366日とし、3年に1度閏月を置いたことは有名です。
 堯の御世の数十年、あまりの平和さに、天下が本当に治まっているか、民は満足しているか気になり、変装して家を出て自分で確かめようとした。子どもたちが、堯を賛美する歌を歌っていた。これを聞いて、堯は子どもたちは大人に歌わされているのではないかと疑ったが、傍らで、老人が腹を叩いて地を踏み鳴らして(鼓腹撃壌)楽しそうに歌っているのを見て信じたという。
 堯から帝位を譲られた舜は、母を早く亡くし、継母と連れ子と父親と暮らしていた。父親たちは連れ子に後を継がせるために舜をころそうと狙っていたが、舜はそういう父親に対しても孝を尽くしたことが堯のもとへも噂が届いた。そこで舜の人格を見極めるために、娘を嫁にやったら、舜の影響で娘はとても誠実な人になった。舜の家族は相変わらず舜をころそうとしていて、舜に屋根の修理を言いつけて下で火をたいて舜を焼きころそうとした。舜は2つの傘を鳥の羽のようにして逃れた。井戸さらいに言いつけて、上から土を放り込んで生き埋めにしようとしたら、舜は横穴を掘って脱出した。こんなことをされても、相変わらず父に対して孝を尽くした。舜を気に入った堯はまず舜を摂政にし、その成果を見て、舜に帝位を禅譲した。…
 ということです。わが国の歴史でこれほどの人物がいたでしょうか?うーん。いたのでしょうが、堯舜禹のように詳細な伝記が筆者の身辺になくて、わかるすべがありません。孔子の偉大さに驚歎していて、その孔子が最高の尊敬を払うのですから、その偉大さは想定のしようもありません。

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