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スレッドNo.127

論語でジャーナル’25

6,大宰(たいさい)、子貢に問いて曰く、夫子(ふうし)は聖者か、何ぞそれ多能なる。子貢曰く、固(もと)より天の縦(ゆる)せる将聖(しょうせい)にしてまた多能なり。子これを聞きて曰く、大宰は我を知れる者か。吾少(わか)くして賤(いや)しかりき。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子多ならんや、多ならざるなり。

 呉の大臣が、子貢に訊(き)いた。「先生は聖人であられるのか。それにしてはなぜあんなに多芸なのか」。子貢が答えた。「仰せのとおり先生は天に許された大聖人ですが、またその上に多芸なのです」。先生がこのことを聞かれて言われた。「大臣は自分のことをよく理解しているね。自分は若いとき身分が低かった。そのためたくさんつまらぬ仕事ができるようなったのだ。君子は多芸であっていいだろうか、いや、多芸ではいけないのだよ」。

※浩→「大宰」は総理大臣のこと。どこの国の大臣か不明という説がありますが、有力な説として、孔子と同時代の新興の覇者・呉の大宰・嚭(ひ)のようです。魯と呉の外交交渉の際、魯のスポークスマン・子貢と、会議のあと会話したときのことであろうと言われます。
 但し、解釈は新旧で違っていて、貝塚先生は古注を、吉川先生は新注を採用されています。
 古注では、大宰が、「君の先生は聖人なのか?それにしてはつまらないことに多芸すぎるではないか」と聞いたのに対して、子貢は、「先生は天から許されたほんとの聖人だが、その上に多芸なのだ」と、明確さを欠く答えをしています。「為政篇」に「君子は器ならず」とあるように、聖人が多芸ではおかしいという考え方が時代の通念でした。孔子は、自分の多芸は、青年時代の貧しさのため、やむをえずそうなったと、子貢に答えている。そういえば、日本では「器用貧乏」という言葉があります。これと対比して「一芸に秀でる」というのがあるんでしょう。
 新注では、大宰が、「あなたの先生は、世で噂するとおり、全能の人なんでしょうね。実にいろいろの才能を持っていらっしゃる。びっくりするほどたくさんの才能を持っていらっしゃる」と言って、子貢は、「そうです。天はその意志として、先生の人格を十分伸ばせるだけ伸ばして、聖人の地位に近づけようとしているのです。その上にまた、さまざまの才能を持っていらっしゃるのは、あなたのお説のとおりです」と答えました。孔子は、さすがで、自分が聖者であるかどうかにはまったく触れないで、「多能」だけを取り上げて、それを事実としては肯定しつつ、価値としては否定していて、ここに文章としての面白さがある、と吉川先生は解説されます。
 「多能・多芸」は可か不可か?どちらの説も一理ありそうで、新旧解釈が分かれているのでしょう。「君子は器ならず」というと、技術軽視のように受け取れます。孔子は自分が多能・多芸なのは、若いころ貧しくて、いろんなことを仕事としてやったため、と、まあ、言い訳をしているようです。古代ギリシャでも、哲学者が「観想的生活」に没頭できたのは、「生産活動」は奴隷が担ったからです。今なら「技術軽視」になりそうです。洋の東西を問わず、古代「貴族社会」は奴隷制でしたから、この構造は、現代社会には通じません。むしろ世間の風潮としては、大学でも理系が重視されて、文系は軽視されている節もあります。最近は「理科離れ」が進んでいるとか。これはどういうことでしょう?
 職場で有能・器用な人は重用されて、やたら業務が増えたりして悲鳴を上げていると「器用貧乏」です。そのために鬱になる人もいます。そういう人を守る意味でも、閑暇を大事にして、じっくり思索にふける時間を確保しないといけないでしょう。「学校」を表す英語のschoolは、ギリシア語の「スコレー(閑暇)」から来ています。「閑暇」は“ヒマ”で、“ゆとり”です。“ゆとりの時間”がないと、なるほど「学問」はできません。学ぶことと閑暇とは結びついています。昔は、子どもが進学しようと思っても、親が、「労働力が足りなくなるから」と、反対していました。「お父さん、学校へ行かせて」「そんなヒマはねえ!働け」と反対されるのを、拝み拝みして、学校へやってもらいました。映画「鬼龍院花子の生涯」では、ヒロインの夏目雅子さんが、養父の仲代達矢さんに「学校へ行かせてくれやんせ(だったか?)」と懇願しているシーンがありました。昨今は、子どもが学校へ行きたくないのに、親が「行け行け」と強要します。子どもに学校へ行くニーズがなくては、本気で勉強するわけがないです。学問は創造的活動で本来楽しいものだと、野田先生はおっしゃっていました。それがなんで苦痛になってしまったのでしょうか?

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