論語でジャーナル’25
2,子曰く、黙してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人を教えて倦(う)まず。我において何かあらん。
先生が言われた。「黙って覚え、学んであきず、他人に教えてイヤにならない。こんなことは、自分にとって何でもないことだ」。
※浩→吉川幸次郎先生は、「ここは読みやすいように見えて、しかも読み方がさまざまである」と前置きされて、1つの読み方を紹介されました。それによると、「いろいろと事あげせずに、沈黙のうちに、事柄をよく認識する。学問というものは、すればするほど新しい境地が開け、したがって新しい責務を感ずるものであるが、嫌気を起こさずに、学問を継続する。教育というものは、相手があっての事柄であり、相手はなかなかこちらの言うことを納得しないものではあるけれど、そのために熱意を失わない。この3つのことだけは、私にとって特別に困難なことではない」と。
もと教師の私には、最後のフレーズ「人に教えて倦まず」はピッタリです。現役の先生方にも参考になりそうです。よく授業中騒がしいクラスのことが話題になります。普通、生徒のお行儀悪さばかり強調して、責任を生徒に押しつけているようですが、そのクラスも別の先生の授業では静かだったりします。生徒と先生の相性もあるかもしれませんが、教師は授業の進め方の工夫をしないといけません。塾の先生のほうが上手だそうです。自らの授業の工夫を棚上げしてあくまで生徒のせいにしていると、事態は一向に改善しないでしょう。昔、野田先生に質問した先生がいました。「授業が騒がしい」と。「それは授業がつまんないんだ」の鶴の一声でした。また、「授業の工夫に関して心理学をあてにするな」と叱られました。授業の工夫には「教育学」の出番でしょうが、かく言う私はアドラー心理学を学んで授業がやりやすくなりました。それは「教育法」のおかげでなくて、心理学から「対人関係のあり方」を学んで実践したからだと思います。クラスでの生徒・教師の人間関係が良くなると、その関係のもとで行われる講義にしても実習にしても、成功しないわけがありません。
アドラー心理学に出会って、私の勤務校では1991年から、まずは「相談室」スタッフだけの勉強会を開いて、スタッフたち数人が学ぶようになりました。そのうち校内の先生がごく少数ですが参加されるようになり、やがて、93年9月から公開にして、校外からの参加者を迎えました。最盛期には毎月20人~30人もの参加者がありました。そのほとんどが外来の方々で、校内の先生たちはまったくといっていいほど参加されませんでした。2018年まで講座を開かせていただいていた倉敷工業高校でも、校外からの参加者ばかりでした。のちに津山工業の校長になられたY先生がときどき参加されました。2019年度から私がスクールカウンセラーをさせていただいた津山工業高校での「学習会」は、一般公開ではなくて同校の先生方ばかりです。しかも、倉敷工業のY先生が校長になられて赴任されると、先生方へ、「スキルアップするように」「カウンセリングを学ぶように」と号令をかけてくださり、ご自身は皆勤で参加されましたが、わずか2年で他校へ転勤されました。続くT校長先生が、これまたほとんど皆勤で参加されました。勤務時間内のことでもあり時間は40~45分で、長い講義は分割して連続ドラマふうにしました。年一度の「全教員研修」では全職員60人のうち50人ほどが参加されました。現在は、岡山県立岡山工業高校にて毎月講座を開いていますが、ここも参加者はほとんど校外の方々です。それでも、「人を教えて倦(う)まず。我において何かあらん」の意気で毎月の講演を準備しています。