論語でジャーナル’25
10,子、斉哀(しさい)の者と冕衣裳(べんいしょう)の者と瞽者(こしゃ)とを見れば、これを見て少(わか)しと雖(いえど)も必ず作(た)つ。これを過ぐれば必ず趨(はし)る。
先生は、荒い麻布で裁(た)ちはなしの喪服を着けた人と、高官の礼服を着けた人と、盲人に会われたときは、出会った相手が年若くても必ず座から立ち上がり、通り過ぎるときは敬意を払って小走りされた。
※浩→「斉哀(しさい)」は喪服の一種で、粗末な麻布で裁ちはなして縁を縫い返ししない。3か月以上近親の喪に服する人が着けます。「冕衣裳(べんいしょう)」は大夫(たいふ)以上の人が着ける礼服礼冠。「瞽者(こしゃ)」は盲人。盲人さんはたいてい音楽家で、孔子は彼らに「詩経」を習ったそうです。日本でも、琵琶法師は盲人さんで、ラフカディオ・ハーンの『怪談』の「耳なし芳一」がそうでした。東宝映画では中村嘉葎雄さんが熱演されていました。ハーンは今の朝ドラ「ばけばけ」の登場人物です。
相手が年若でも敬意を払う人といえば、私には野田俊作先生です。先生は6歳年下ではありますが、大師匠です。それは単に「碩学」「万能」のためではなく、その不思議とも思えるお人柄も関係があります。その野田先生からは計り知れないほどの「知恵」を授かりましたが、こちらからは何もお返しできないままお亡くなりになりました。講演会や各種講座の受講料は当然お払いしましたが、それは微々たるものです。
万能といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など様々な分野に顕著な業績と手稿を残した「万能人」です。野田先生は20世紀から21世紀にかけての「万能人」だと思います。私たちが、どんな努力をしても、その足もとにさえ近づけないほどのカリスマです。野田先生のカリスマ性は「質疑応答」の回答でもうかがえます。あらゆるジャンルの質問に、「はい次」「はい次」と、ノートもメモも見ないで、即答されます。出てくる言葉の1つ1つが「金言」として、すーっと入ってきてます。何かのときに、関係あるキーワードに触発されると、自然に口から、かつて聞いた金言がそのまま出てきます。しかも、温かみ溢れる関西弁で。
礼服に関しては、昔は厳重で、女性は、昔は和装・洋装と選択肢があって、和服で卒業式に参加されるお母さんもいらっしゃいました。最近はほとんど洋装になって、たまに和服の方が見えると、ドキッとするくらい魅力的です。それと対照的に、成人式の女性の和服はケバケバしくていただけません。色はほとんど原色、模様は大雑把です。微塵も「気品」が感じられません。しかも誰もが同じような白い襟巻き。こういう服装を望む新成人自身が無分別なのか、そういうものをデザインして販売する人のセンスが問題なのかわかりませんが、「みんな一緒」で、個性のなさを感じさせます。ステレオタイプ。昔は、和装については、母親から娘へときちんと伝承されました。田舎のわが家の座敷には和箪笥があって、そばへ寄ると、樟脳の匂いがして、引き出しを開け閉めすると、「ファーン」と面白い音がするのを喜んで、私も子どものころしょちゅう触っていました。
男性の礼服は、女性に較べるとシンプルで、吉事・凶事の両方ともにダブルの黒服で間に合います。私自身の結婚式は貸衣装でモーニングを借りました。卒業生の仲人を何件かお受けしましたが、そのときは黒ダブルでした。その後モーニングがいいと思って誂えましたが、まだ一度も手を通すことなく、今も洋服ダンスに眠っています。もったいない。
岡山工業高校で機械科を受け持ったときの卒業式に一度だけ、紋付・袴で出たことがあります。1983年でしたか、卒業式の前日に、校長さんがわざわざ、「明日の卒業式は必ずネクタイを着用してください」と、日ごろジャージ姿の先生が結構いらしゃったためでしょうか、そういうご注意がありました。そのころ反抗的だった(笑)私は、なぜかカチンときて、なんとかネクタイをしないで式に出られないものかと思案して、和服に思い至りました。ちょうど、結婚式でお世話になった貸衣装屋が学校のすぐ近所にあったため、そこで一式お借りして着付けしてもらって和服の正装で出席しました。翌日、校長さんから、「まいった」と言われました。見栄の大森は“ドヤ顔”をしました。その当時は、マイカーも黒いフェアレディZでした。今はダイハツの軽四です(笑)。