MENU
15,157

スレッドNo.138

論語でジャーナル’25

17,子、川の上(ほとり)に在(あ)りて曰く、逝(ゆ)く者はかくの如きか。晝夜を舍(お)かず。

 先生が川のほとりに立って言われた。「過ぎゆくものはこのとおりか。昼夜休むことがない」。
 意訳すると、先生がとうとうたる川の流れを眺めてつぶやいた。「すべては過ぎ去っていくなぁ。昼も夜も休むことなく」。

※浩→「逝く」は日本では、「死ぬ」ことですが、中国では、一般に「行く」ことを意味するそうです。辞書には「ふっといなくなること」とあります。新型コロナ流行初期に亡くなった志村けんさんは、ほんとに「ふっといなく」なられました。ドリフターズのメンバーではすでに故人のいかりや長介さん以外のメンバーでは、最年少だそうでほんとに残念です。
 「子罕篇」はこのあたりから、物寂しくなっていきます。孔子が期待した呉国は没落し、愛弟子の顔回も逝去したりして。
 「川の流れ」からすぐ連想するのは、古代ギリシャのヘラクレイトスの「万物は流転する(厳密には、「人は同じ川の流れに二度入らない」)」ですが、ヘラクレイトスは“自然哲学者”ですから、人生の生々流転と重ねたのではなくて、単なる自然現象として述べたのでしょうが、仏教の「諸行無常」に馴染んでいる日本人には、人生哲学だとも捉えられます。孔子と同時代のブッダの臨終の言葉は、「すべてのものは移ろいゆく。怠らず努めるがよい」でした。孔子が眺めていたのは、魯国周辺の泗水(しすい)か、あるいは黄河か長江か。おそらく散歩の途中の泗水でしょう。最晩年にさしかかった孔子が、不遇のうちに年老いていくのを嘆いたのでしょう。
 日本で「川の流れ」といえば、歌なら美空ひばりさんの「川の流れのように」です。お芝居だと「松浦の太鼓」(成駒屋系では「土屋主税」)です。赤穂浪士の討ち入り前夜と当日のお話です。
 「松浦の太鼓」は播磨屋(中村吉右衛門)系です。
第一幕 両国橋の場
 元禄15年12月13日。宝井其角(きかく)が「我がものと思えば軽し傘の雪」と独り言を言いながら両国橋のところを歩いてると、煤竹(すすだけ)売りをしてる俳句仲間の大高源五にばったり出会います。彼があまりにみすぼらしくて寒そうだったので松浦侯から拝領の羽織をあげて、別れ際に「年の瀬や、水の流れと人の身は」と詠みかけると、源五は「明日またるるその宝船」と返します。其角は首を「はてな?」と首をひねります。

第二幕 松浦邸の場
 吉良家の隣人、松浦鎮信(しずのぶ)の屋敷。俳句好きで、討ち入りの夜も宝井其角や友だちを呼んで連歌の会をしていました。松浦候はお茶を持ってきた腰元・お縫(源五の妹)を見て、家来に「部屋に入れるなよ」と言う。彼女の後見人の其角はビックリする。殿様は赤穂浪士が一向に仇討ちをしないのでイライラしている。そこへ其角がその前日に、松浦候から拝領の羽織を源五にやったたことを聞いて激怒します。其角とお縫が退室しようとして、其角がふと、前日の両国橋で源五とのやりとりをつぶやきます。それを聞いて、松浦候は興味を持ち呼び返す。「明日またるるその宝船?明日待たるるその宝船?………」。ちょうどそのとき山鹿流の陣太鼓が聞こえる。「宝船船はこれじゃー!!!」。

第三幕 松浦邸 玄関先の場
 松浦候が馬に乗って出かけようとしていると、本懐を果たした源五が討ち入り装束のまま駆け込んでくる。大喜びの松浦候はおおはしゃぎ。さっきまでお縫に「出ていけ」と言っていたのにケロッと機嫌を直すのでした。

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top