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スレッドNo.139

論語でジャーナル’25

18,子曰く、吾未だ(いまだ)德を好むこと色を好むが如くする者を見みざるなり。

 先生が言われた。「私はまだ美人を愛するほど熱烈に有徳者を愛する人を見たことがない」。

※浩→「美」は“色事”とも“美人”とも訳せますが、ここでは“美人”としておきました。「徳」は、一般には“道徳”“仁徳”を言いますが、“有徳の人”とも“道徳者”とも訳されます。ここでは、“有徳者”としておきました。
 孔子は人間の能力の基本を「徳」に置きました。それは体力・気力を土台に、学問や技術や武術や経験などが積み重なった、圧倒されるような人格力でした。美人を愛する人は多くても、そういう効能を有する人を世間は知らない。先生はこれを嘆いたのでした。
 愛する人との縁を切って忠義や責務を貫徹した人は、日本には存在します。播州赤穂の大石内蔵助は、主君の仇を討つためには、長子の主税(ちから)を身元に残して、妻子を離縁して妻の実家へ返しました。任侠の吉良(の)仁吉は、村田英雄さんの歌「人生劇場」でも有名な博徒でした。清水次郎長の子分として、荒神山の喧嘩で壮絶な死を遂げた「義理と人情に生きた博徒」でもあります。仁吉が戦死したのは「荒神山の喧嘩」です。喧嘩の発端は勢州桑名の博徒・安濃徳(あのうとく)次郎が、次郎長と親しい勢州神戸町(現・三重県鈴鹿市)の博徒・神戸(かんべ)長吉の縄張りを奪ったことです。長吉は寺津間之助に助けを求めたのですが、間之助は高齢だったため、代わりに仁吉が助っ人になりました。たまたま間之助宅に厄介になっていた清水一家の大政が、長吉を助けようと立ち上がります。荒神山一帯では、毎年4月上旬に神社、寺院のお祭りが続き、祭りには地元博徒が野天博打の賭場を開催するのが常でした。清水一家は長吉一家の縄張り奪還抗争を開始します。
 浪曲では、仁吉の妻は安濃徳の妹・きくとされ、荒神山へ出かける直前に、仁吉は新妻であるにもかかわらず離縁して決意を固めたとされています。「義理と人情」のため、命を落とす任侠道の世界と美化されました。実際には、仁吉に妻はいなかったとも言われていますが、これではお芝居になりません。
 世間ではよく「英雄色を好む」と言います。古今東西、権力を得た英雄には好色な人が多く見られます。古代ローマのカエサル(シーザー)とアントニウスにはクレオパトラという美女がいて、唐の玄宗には楊貴妃がいました。日本では、遊女を“傾城(けいせい)”と呼びました。有名なのは、伊達騒動の「高尾太夫」です。これはお話が長くなりますので割愛します。

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