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スレッドNo.142

論語でジャーナル’25

21,子、顔淵を謂(い)いて曰く、惜しいかな、吾その進むを見たるも、未だその止(や)むを見ざりき。

 先生が顔回(顔淵)を評して言われた。「惜しい人間を死なせたものだ。彼が、日に日にたゆみなく進歩するのを、私はこの目で見た。その進歩が1つの到達点に達し、そこで停止するのを、見ることはなかった」。

※浩→若死にした顔回を惜しんだ言葉です。師匠にここまで言ってもらえる彼がいかに優等生で、師匠のお気に入りだったことがわかります。
 顔回は紀元前521年生まれ、紀元前490年?没で、字(あざな)は子淵(淵)で、顔淵とも呼ばれます。魯の出身で、孔子の弟子としては最も優秀だったと言われます。孔子は、自分より30歳ほど若い顔回を高く評価していて、『論語』に顔回に対する賞賛を多く見ることができます。将来を渇望されて、孔子からも後継者と見なされていたのに、31歳(太陽暦)で夭折します。最も期待していた弟子だけに、顔回の死は孔子を激しく落胆させ、孔子は次のように言い嘆き悲しんだとされます。
 顔淵死す。子曰く、噫(ああ)、天は予を喪ぼせり、天は予を喪ぼせり。(先進篇)
 顔淵が亡くなった。孔子先生は歎いて言われた。「ああ、天は私を滅ぼした。天は私を滅ぼした」。弟子が亡くなったことを、「天が自分を滅ぼした」と慟哭する、師弟の強い絆を感じます。私には、「先生(老師)」は多いのですが、師匠と呼べる人はいないと思います。よく、野田先生を師匠と呼ばせていただいていますが、それは、こちらが勝手にそうお呼びしているだけで、野田先生は私を弟子とは思われてはいないでしょう。多数の生徒たちの1人にすぎないです。私の側からは、その絶大な影響から、勝手に師匠と呼ばせていただいています。「弟子」は英語でdiscipleで、「生徒」はstudentです。私は野田先生のところへ弟子入りしてはいませんから、one of the studentsです。かつて、アドラーギルドには、鎌田穣さんや、田中貴子さんという「内弟子」さんがいらっしゃいました。あの方々はお弟子さんです。「教師ー生徒」と「師匠ー弟子」との違いについて、昔、野田先生が書かれた解説があります。引用します。↓
 育児あるいは教育をめぐる人間関係には2つの種類があります。1つは、先生teacherと生徒studentとの関係、もう1つは師匠masterと弟子discipleとの関係です。先生-生徒関係は、主に知識の伝達を目的とするもので、必ずしも人格的な触れ合いを前提としません。一方、師匠-弟子関係は、人格的な成長を目的とするもので、知識の伝達は副次的なものです。アドラー的な用語を使うと、先生-生徒関係は社会(ゲゼルシャフト)的、師匠-弟子関係は共同体(ゲマインシャフト)的な関係と言えましょう。両者を比較すると、次のようになります。

先生-生徒関係
・知識伝達が目的
・先生の言葉を生徒が覚える
・社会的関係
・契約関係
・普通は一時的関係
・教える-習う
・賞罰による訓練
・仕事のタスク

師匠-弟子関係
・人格的成長が目的
・師匠の行動を弟子が見習う
・共同体的関係
・信頼関係
・普通終生の関係
・共に学び共に生きる
・勇気づけによる育成
・交友ないし愛のタスク

 さて、躾け(discipline)という言葉は弟子(desciple)という言葉と関係があります。つまり、躾けとは「師匠と弟子の道」なのです。従って、師匠-弟子関係のないところに、本当の躾けはありえません。今、この国で躾け不在なのは、親子間も教師生徒間も、師匠-弟子関係ではないからでしょう。それは共同体的人間関係が乏しいからでしょう。
 かつては、尊敬される人が人々に推されて教師になりました。今では、尊敬されたい人が教師になって、人々に尊敬を強要しているのではないでしょうか。尊敬されたいために教師という職業を選択することそれ自体が悪いことではないでしょうが、動機はどうあれ、共同体に有益な職業を選択した限りは、いつまでも幼児的な『権力への意志』を追求しつづけるべきではないでしょう。教師には、みずからが人格的に成長して大人としてふるまうことで、生徒たちに大人の問題解決行動のモデルを示す責任があると思います。「教師は労働者か聖職か」と幼児的な議論をするのではなく、教育を可能ならしめる基礎としての、教師自身の人格的成長、すなわち共同体感覚の育成が、教育界の目下の急務ではないでしょうか。
 教師だけではありません。およそ人の子の親たるものは、すべからくわが子の師であるべきです。もっと正確に言うと、好むと好まざるにかかわらず、わが子の師である他はないのです。悪い師匠の弟子になるのは一生の不幸です。親たちの多くは、師匠としての資格がないままに弟子をとっているのでしょうね。親がもし子どもレベルで子どもを育てていては、子どもは大人が育てないでしょう。親がまず大人にならなければ、子どもはいつまでも大人にはなれません。

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