MENU
15,155

スレッドNo.143

論語でジャーナル’25

22,子曰く、苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者有り。秀でて實らざる者有り。

 先生が言われた。「苗には花が咲かないものがある。咲いて実らないものがある」。

※浩→教育による人間の才能の開発は難しいということです。孔子は穀物の苗に喩えて、その難しさを象徴しています。若いときの秀才、中年の活動家で、学問を大成させることができない者がどんなに多いことだろう。これも、顔回の死を惜しんで言われたとされます。
 このお話はたびたび登場しますが、野田俊作先生は、アメリカ留学中にでしたか、ジョニーと呼ばれたそうです。ある講演会の質疑応答で、「本当ですか?」と質問されて、次のように応えられました。「ああ、ジョニー・アップルシードね。Johnny Appleseed(1774年~1845年、本名=John Chapman)は、アメリカ合衆国初期の開拓者の1人であり、実在した人物です。西部開拓期の伝説的人物の1人として、現在もさまざまな逸話や伝説で語り継がれています。マサチューセッツ州レミンスターに生まれた彼は、成人すると、リンゴの種を携えて西部の開拓地一帯(当時の西部なので、現在のアメリカ東部から中西部に当たる)を回り、エマヌエル・スヴェーデンボリの著書を手に新エルサレム教会(英語版)の教えを説きながら、オハイオ州、インディアナ州にリンゴの種を植えて回ったと言われています。アメリカの伝説的な英雄となるりんご作りの名人です。私も、こうしてアドラー心理学の種を播いています。あまり育ちませんが」(笑)。
 私は、ありがたいことに、野田先生から二度ほど注目されたことがあります。一度目は、1993年の「京都総会」です。その前年にカウンセラー資格を取得していて、この総会にシンポジストとして晴舞台に出していただきました。私の出番の前日のシンポジウムで、野田先生がお話の流れの中で、「岡山の大森さんは、新幹線で毎月、私のところ(アドラーギルド)へ学びに来られます。これが本当の姿です。みんな私を各地へ呼びますが、大森さんのように自分が私のところへ来るのが本当です」と。会場の京都西本願寺門徒会館のフロアに私の名前が知れ渡りました。おかげで翌日の私が出るシンポジウムに堂々と登場することができました。二度目は、その翌年・1994年夏に、アドラーギルドで開かれた「カウンセラー養成講座」を再受講したときです。北村さんという女性の参加者が、「野田先生が大森さんのことを、西の“養成講座優等生”とおっしゃっていましたよ。東は東京の伊東毅さんです」と伝えてくださいました。何だか気恥ずかしくて、穴があったら入りたい心地でした。この年の養成講座も、参加者のどなたとも懇意にしていただいて、実りの多い講座でした。日本では、「謙譲の美徳」というのがありますが、自己評価が低すぎるのは健康なパーソナリティーとは言えません。自分の地道な学びの努力が、こうして評価していただけたのだと思うことにしました。
 「秀でて實らざる者有り」は実感があります。ここ10年以内に私たちの学びの場にいた20歳代の若者たちのほとんどが現在は不在です。また、児玉先生の勤務校で昨年度は、同じ科の信任女性教師が児玉先生に誘われて講座に参加されていましたが、今年度は、年度初めに見えてその後はぱったり途絶えました。はじめのうちは児玉先生も催促?か勧誘かされていたようですが、最近はもうそれもなさらなくなったようです。アドラー心理学はある程度以上の年齢の方にしか魅力がないのでしょうか?

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top