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スレッドNo.147

論語でジャーナル’25

26,子曰く、三軍も帥(すい)を奪うべきなり。匹夫も志(こころざし)を奪うべからざるなり。

 先生が言われた。「三軍のような大軍でも、意志が統一していないと、大将を捕らえて無理に指揮権を横取りすることができる。これに反して、弱い1個の人民でも、決心していると、暴力でその意志を曲げさせることはできない」。

※浩→孔子はここでは、1個の人間の意志力・精神力が確固としていれば、いかなる外界の暴力の圧迫にも打ち勝つことができると信じているように見えます。
 吉川幸次郎先生は、「これは人間の主体性についての議論である」と解説されます。この「人間の主体性」という表現が嬉しいです。何しろ、アドラー心理学の基本前提の1つに「個人の主体性」がありますから。「個人」というのは、個人主義・利己主義の個人ではありません。「個人」というのは英語でindividualで、「分割できない」という意味です。人内部のパーツは拮抗対立するものではなくて、それらは分業協力し合って「全体」を構成しているという意味です。
 「大軍でも意志が統一していないと指揮権を横取りされる」というと、思い出すのは、新田次郎の「八甲田山・死の彷徨」です。映画にもなりました。東映を退社してフリーになった高倉健さんの主演で大評判になりましたが、私は映画より先に原作を読んでいました。映画のタイトルは短くなって「八甲田山」でした。原作を読んだときは、指揮の乱れからほぼ全滅する悲劇に涙しました。映画では、組織の指揮統率のあり方の違いに注目しました。健さんの、研究し尽くして決定された「小隊編成」では、1名も犠牲者を出すことなく八甲田踏破に成功します。一方、北大路欣也・中隊長率いる中隊に三國連太郎・大隊長が随行した「大隊編成」では、指揮系統が2本立てとなって大混乱の末、ほぼ全滅してしまいます。映画では、組織の指揮統率のあり方の違いが丁寧に描かれていました。健さんや北大路欣也さんの名演技が凄かったです。
 ネットに、「八甲田山の悲劇に学ぶ、楽観的すぎるリーダーの害」(中尾政之:東京大学大学院工学系研究科教授)というのがありました。凄いのを見つけました。とても長い長い記事ですが、ここで少しずつ読ませていただきます。

 引用→生産性が感じられない会議と同様に、失敗のリカバリーショットについて議して決せず、決して行わずという会社も少なくない。こうなる理由は、
「もう少し様子を見よう」
「そのうち状況が(いいほうに)変わるかもしれない」
 という淡い期待が持ち上がってくるからである。もちろん、こんなものは宝くじで3億円を当てるよりも確率は低いに決まっている。これが失敗学における「楽観視の法則」である。しかし、他力本願で仕事をされては困る。
 希望的観測が高じると、いったいどんな悲劇が待っているのだろうか。
 1902年1月23日、旧青森歩兵第五連隊第二大隊が青森市を出発、三本木(現十和田市)に向かう途中に大事故が起きた。世界の山岳遭難史の中でも類を見ないほどの悲惨な事故だった。この大事故は軍事訓練だったので当時、事実は伏せられていたが、後年、映画になって広く知れわたることになる。すなわち、「八甲田山・死の彷徨」である(本当は八甲田山という山はなく、連峰を総称する呼び方である)。
 雪中行軍を決行した狙いは、目前に迫りつつあった日露戦争対策である。陸軍による寒冷地戦の研究(シミュレーション)の一環として展開された。
 第八師団青森歩兵第五連隊(隊長神成文吉大尉)と、弘前第三十一連隊(隊長福島泰蔵大尉)が選ばれ、冬の八甲田を互いに反対側から登るのだが、折しも記録的な寒波とすさまじい吹雪に遭遇する。(つづく)

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