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スレッドNo.150

論語でジャーナル’25

27,子曰く、弊(やぶ)れたる縕袍(うんぽう)を衣(き)て、狐貉(こかく)を衣(き)る者と立ちて恥ざるものは、それ由(ゆう)か。忮(やぶ)らず求めず、何をもってか臧(よ)らざらん。子路、終身これを誦(しょう)す。子曰く、この道や何をもって臧(よ)しとするに足らん。

 先生が言われた。「ボロボロの綿入れ羽織を着て、狐や貉(むじな)の毛皮を着た人と並んで立って恥ずかしがらないものは、子路ぐらいではないかね。『他人を妬まず、せがまずばいかでか善き人ならざらん』という詩によく合っている」。喜んだ子路は、死ぬまでこの詩を口ずさんでいた。この噂を聞かれて先生が言われた。「この行いは立派だが、善はそれだけで済むものではないのに」。

※浩→難しい漢字の多くて、パソコンで変換しても出てきません。一々「手書き入力」で自分で書き込み、明朝体に変換しました。「貉(むじな)」は変換できました。
 子路について熟知していると、孔子の子路への愛がなお一層納得できます。ネットにまとまった解説があります。そこから拝借して、私なりにまとめてみました。
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 子路は魯国の出身。孔子門下でも武勇を好み、そのためか性格はいささか軽率なところがある反面、質実剛健たる人物であった。『論語』には、性格の軽率さを孔子に咎められるも、その人物の率直さをもって愛されて、弟子の中で『論語』に出てくる回数が最も多い。司馬遷の『史記』「孔子世家」と「衛康叔世家」によれば、衛の高官に取り立てられて、衛の太子蒯聵(かいかい)の反乱を諫めたが、しまいには「太子には勇気がない。この高殿を放火すれば、太子はきっと孔悝(こうかい)を放逐されるだろう」と言い放ったために、激怒した蒯聵の家臣が投げた戈(ほこ)で落命した。死の直前、冠の紐を切られた彼は、「君子は冠を正しくして死ぬものだ」と言って結び直したと言われる。子路の遺体は「醢(かい)」にされた(死体を塩漬けにして、長期間晒しものにする刑罰)。これを聞いた孔子は悲しみにより、家にあったすべての醢(食用の塩漬け肉)を捨てさせたと伝えられる。なお、衛に乱があったことを聞いた段階ですでに、孔子は「由(子路の実名)は死ぬだろう」と述べたと伝えられる。
 彼は弟子になる前、雄鶏を帽子につけ、豚の皮を腰の剣につけて孔子に無礼を働いたとか。孔子は彼を次第に導いてそれから弟子になりました。孔子は彼が勇敢であること、大胆であることを戒めることが多かった。例えば子路が「聞いたことはすぐに行いましょうか?」とたずねると「慎重にするよう」に言い、冉有(ぜんゆう)が同じことを聞いたら「すぐに行え」と言った。わけは、「由(子路)は人をしのぐからこれを押さえた」と述べた(先進編)。
 また、あるとき孔子は「道が行われないから、いっそ海に出ようか、ついてくるのは由だろう」とその勇敢さを取り上げて彼を喜ばせたが、それに続いて「しかし君には筏の材料がないね」と言った(公治長編)。他方で、彼の琴の音を孔子が批判したために他の門人が彼を軽んじたときには、「由はすでに堂には上がっているのだ」と述べ、彼がすでに高い境地にいることを語っている(先進編)。
 今回の、「敝れたる縕袍(うんぽう)を衣、孤貉(こかく)を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由なるか」と外見を取り繕うことのない姿勢を評したあと、やはり「善はそれだけで済むものではない」とたしなめている。たしなめ部分を含めて、全体を1章とする説と、前半と後半を分ける説とあって、貝塚先生は合体説と、吉川先生は、荻生徂徠に倣って分離説を採用されている。私は合体説でいいと思います。いたずら者で愛すべき存在はたくさんいます。野田俊作先生も「人をびっくりさせるのが好き」だそうです。かく言う私も大好きです。小学校6年生くらいに、母の従姉(いとこ)の親子とうちの母と私と妹と大浜海水浴場かへ海水浴に行きました。大きな西瓜を買ってもらえて、私はそれを抱えて砂浜を歩きながら、少し前に学校で「隕石」について習ったのを思い出して、「いんせきじゃー!」と言って、西瓜を砂浜へ落としたら、ものの見事に真っ二つに割れました。大人たちにたっぷり叱られました。あれから、「母の従姉の娘=岡本のおねえちゃん」に、ことあるたびに「浩ちゃんは“おっちょこちょい”だ」と言われていました。大学時代には、ボート部で、年中ほとんど合宿か遠征かで、ろくに下宿にいませんでした。「対抗選手(本ちゃん)」に選ばれてから、コックスを務める1年先輩の柴田浩志氏(惜しくも他界されました)が、津島の大学裏のアパート(「東雲寮」だったか)に住んでいたので、私も隣室を借りました。柴田先輩は、全日本選手権のとき埼玉県戸田まで「自艇」をトラック輸送する段取りなどで力量を発揮された藤原潔・名マネージャーとともに、私を最もかわいがってくださった先輩です。その柴田先輩の隣室に住むことになって、どれだけ嬉しくてたまりませんでした。彼の名前は「浩志」で、私の名前が「浩」で、私のほうが一文字「志」が足りないことで、「お前は志がない」としょっちゅう冷やかされていましたが、それもまた心地良かったです。互いの部屋の合鍵を持ち合って、いつでも自由に出入りできました。彼は落語が大好きで、ラジオで落語番組が始まると、部屋の仕切りの壁をドンドンと叩いて、「おーい、落語が始まるぞ-」と知らせてくれました。あるとき、私の思いつきで、互いの部屋に「呼び鈴」をつけることにしました。ときどき悪戯をして、彼の部屋のブザーを思い切り大きな音のするものに、留守の間にこっそり取り替えておきました。夜、彼がバイトから帰ってきた気配を感じてブザーを押すと、「バー!!!」という大音量で、先輩は「わーっ!!!」とびっくり仰天。あとで大目玉をくらいました。楽しい楽しい学生生活の巻でした。このアパートの家賃は月2000円でした。

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