論語でジャーナル’25
第十 郷党篇
この篇の冒頭の解説は、吉川幸次郎先生も貝塚茂樹先生もほぼ同じです。例によって、はじめの二字をとって題名としていますが、内容は他の篇が抽象的・教訓的なのに対して、ここは孔子の行動記録が主体となっています。「郷党」つまり都の近郊の郷里の、孔子の本宅における日常の生活ぶりを主とし、それに付随して朝廷における孔子の公的生活の様子が記述されています。
1,孔子、郷党においては、恂恂如(じゅんじゅんじょ)たり。言う能(あたわ)わざる者に似たり。その宗廟・朝廷にあるや、便便として言い、唯(ひと)えに慎しめり。
孔子は在所では控え目で、口ごもってものが言えないようであられた。国家のご先祖の御霊屋(みたまや)や政府の会議場などではすらすらと発言された。ただ謹厳な態度は決して失われなかったが。
※浩→孔子は私的には控え目で口ごもるようにものを言ったが、祭祀や政治の場では流暢に発言してしかも謹厳であった。これがプロフェッショナルというものでしょうか。私もおしゃべりが主たる業務ですが、やはり日常生活ではどちらかというと寡黙です。ひとり暮らしですから当たり前ですが、その反動で、一旦口を開くと、留まることを知りません。お盆とお正月に妹が帰省すると、終日しゃべりっぱなしでした。そこへさらに姪が加わると、今度は、母親である妹が入り込めないほど、姪と私のおしゃべりが高揚します。よくまあ話題が尽きないことです。お仕事で津山工業高校へ出勤した日は、お昼の12時過ぎに津山駅で車でお迎えの児玉先生と会ってから、仕事を終えて居酒屋での打ち上げが終わる21時くらいまで、ずーっとしゃべっています。
退職まで勤めた岡山工業高校では、赴任して2代目の校長さん(和田道夫先生)から、職員会議等で寡黙な私のことを、あるとき、「大森先生はサイレントマンですね」おっしゃっいました。当時は、アドラー心理学をやる前で、授業でも新年度がスタートして2学期半ばまで、不要不急な発言をしたことがなくて、ひたすら授業に専念していました。
一方、小学校時代の「早期回想」ではそんなことはないです。
小学生のころ妹と一緒に隣村の伯母さん(父の姉)の家にお泊まりに行きました。夜は、座敷で伯母さんと妹と私とが川の字になって寝ていました。私は眠る前に、枕もとに鏡を置いて、アナウンサーの真似をしていました。「ひろちゃんは大きくなったら何になる?」と伯母。私は「アナウンサー」と即答。実際はアナウンサーでなくて高校教師になりましたが、おしゃべりする仕事には違いありません。高校で演劇部仲間の山県明宏さんは大学卒業後、地元の山陽放送(RSK)のアナウンサーにほんとになられました。そういえば、彼はとても美声でした。私は大学でボート部で声を潰してしまって、ヴォリュームありますが、澄んだ美声でなく、ドスのきいたダミ声になりました。授業や講演には向いていて、アナウンサーには向いていなかったのでしょう。ちなみに、児玉先生は澄んだビタミンボイスの美声です。妬けますね。