論語でジャーナル’25
2,朝(ちょう)にして下大夫(かたいふ)と言えば、侃侃如(かんかんじょ)たり、上大夫(じょうたいふ)と言えば、誾誾如(ぎんぎんじょ)たり。君いますときは、踧踖如(しゅくせきじょ)たり、与与如(よよじょ)たり。
朝廷の会議場で、下役の下大夫と話されるときは、なごやかで、同役の上大夫と話されるときは、ほどがよかった(的確・中正だった)。やがて太陽が出て、君主がお出ましになると、恭しく、またしずしずとなさった。
※浩→中国の閣議は、朝甚(はなは)だ早く開かれたそうです。太陽がまだ出ず、ものの色がはっきりし始めたころに、群臣は宮中の朝集所に集まり、君主のお出ましを待つ。やがて太陽が昇るとともに、君主が奥から出て臨席する。この風習は清朝まで続いたとか。
1つ前の章でも、孔子が場面場面に応じたものの言い方を使い分けていたことがわかります。ここでは公式の場(朝廷の会議)において、下役には温和な態度で接したと言いますから、威張ったりしなかったのでしょう。同役には中正の態度だった(古注)か、和やかに論争した(新注)。そして、殿様に対しては、恭しくしずしずとなさった。
現代に置き換えてみました。今の職場では、まさか日の出前から会議を開いたりはしませんが、午前10時とか、学校だと午後3時50分からとか会議を開きます。君主に当たるのは社長とか校長でしょうが、遅れて顔を出したりしないで、開始時には席に着いています。したがって、長のお出まし前に、出席者が根回しなどすることはなくて、根回しをするとすれば、会議の開始前にしておくでしょう。根回しはフェアかフェアでないか?会議の本番を円滑に進めるには、良い意味での根回しがあったほうがいいかもしれません。本会議でゼロから審議していては、限られた時間内に結論が出ないでしょう。国会だと本会議の前に、実質的な審議は「委員会」でなされます。そこでの審議の結果を本会議で賛否をとって、ほとんどの場合、原案が承認されることになります。日本の会議では、本会議は、ほとんど多数決の採決だけのようで、審議は事前の委員会で行われます。学校のクラスなどでの会議は、原案に対する質疑や審議はほとんどなく、提案されたらいきなり「賛成の人は?」と採決をしているようです。もしも、質問や意見などを言おうとすると、まるで会議の進行を妨げているかのような、冷たい視線を浴びたりします。民主主義とは「多数決で決めること」と思い込まされているためでしょう。戦後、日本はアメリカの指導(陰謀か)でデモクラシーを植えつけられたかもしれませんが、民主主義を取り違えて「多数決」だと思い込んだのでしょう。お粗末限りない!完成した民主主義というものを人類はまだ体験していません。現状からして今後の発展はとても危ういです。育児と教育を根本から立て直さないといけないでしょう。20世紀にアドラーが憂えたのと同じ状況かもしれません。先日、「ドクトル・ジバゴ」という往年の名画を観ました。野田先生が日記に書かれていて自分も観る気になりました。以前にも何度か観かけたことがありますが、長いし、途中でやめてしまいました。この映画は歴史ドラマというよりラブストーリー(正確には不倫ドラマ)だと今回納得しました。おまけとして、ロシア革命の本質のようなものがかなり見えてきたように感じます。