論語でジャーナル’25
4,公門に入るに、鞠躬如(きつきゅうじょ)たり。容(い)れられざるが如くす。立つに門に中(ちゅう)せず、行くに閾(しきゐ)を履(ふ)まず。位を過すぐれば、色勃如(ぼつじよ)たり、足躩如(かくじょ)たり。その言ふことの足たらざる者に似たり。斉(し)を攝(かかげ)て堂に升(のぼ)るに、鞠躬如(きつきゅうじょ)たり。気を屛(ひそ)めて息せざる者に似たり。出(い)でて一等を降(くだ)れば、顏色を逞(のべ)て、怡怡如(いいじよ)たり。階を沒(つ)くせば、趨(はし)り進すむこと翼如(よくじよ)たり。その位に復(かへ)れば、踧踖如(しゆくせきじよ)たり。
先生が朝廷の門を入るときは、体を丸くかがめてまるで狭い門をやっとくぐり抜けるように敬虔に見えた。門の前に立つときは、君主の通り道である中央部には決して立たれない。門の敷居を踏まない。君主がいないときでもそこを通り過ぎるときは、君主がいらっしゃるかのように、顔色は改まり、歩き方はためらって緩く、言葉少なくなられる。袴の裾を持ち上げて宮殿にのぼるときは、体を丸くかがめて慎み深く、息を抑えて呼吸しないように見えた。宮殿から出るときは、階段を一段降りると表情はほぐれてやすらかだった。階段を降りきると、少し身をかがめて小走りでするすると進まれる。もとの君主のいるべき地点を通り過ぎるときは、また居住まいを正して恭しくされた。
※浩→フー……。なんという難しい漢字!疲れます(笑)。この条は、孔子が朝廷に出仕したときの孔子の行動を、礼儀作法の典型として記録したものですが、現代では、ここまできちんとした作法を必要とする場所は、宮中以外にはないでしょう。茶道のお作法はこれに近いかもしれません。お茶と言えば、備前高校在任中に、ほぼ毎日訪れては憩わせてもらっていた購買の女性職員・中川さんがお茶の名取さんだったことを思い出します。時々、購買で略式のお点前をいただいていました。彼女の自宅でフルコースの茶会が開かれたとき、そこへ招待されました。当時、親交の深かった藤原光郎先生と窯業科(のち「セラミック科」)の高坂先生(のちセラミック科長)も一緒に招かれました。もうずいぶん昔のことで、記憶が曖昧ですが、お屋敷の門を入るとき杖と笠を渡されました。敷石づたいにお庭を歩いて茶室に着くと、その杖と笠を定位置にきちんと置いて、それから狭い狭い「にじり口」をくぐって室内に入りました。最初は「濃茶」でした。床の間には季節感あふれる掛け軸が、柱には、さすがご当地、備前焼の一輪ざしに水仙が一輪、室内にはお香の香りがただよっています。3人並んで座につきますが、作法をまったく知らないので、ご亭主の中川さんがお客に混じって座ってくださっていて、いちいち教えてくださいました。濃茶というのは、普通いただいているお抹茶(お薄)とは段違いの大きな御茶碗に、まるではったい粉のようにお抹茶をどろどろにこねて、席の端から順に一口ずつ「ズルッ」とすすります。自分の口の当たった場所を懐紙で丁寧に拭って、次席の人に、男性だと手渡しで、女性だと彼女の膝の斜め前あたりに置きます。お茶をいただく前に、お菓子を半分に割っていただきました。残り半分はお茶のあとにいただきます。数人の客全員がいただけるだけの量のお茶を点てていますが、藤原先生とヒソヒソ話で、「もしも途中でなくなったらどうするんだろう」「こっそり唾でも入れて増量するか」……と囁いて笑いを堪えていました。後日談ですが、高坂先生は、このとき隣席に座っていた女性とご結婚されました。濃茶の次は、煎茶です。煎茶は、高校時代につきあっていたガールフレンドの自宅に遊びに行ったとき、彼女に教えてもらっていたので、これにはすんなり馴染めました。煎茶では、お菓子をあとでいただきます。煎茶の楽しみ方は、香・味・辛と言って、まず香りを楽しむのに、先に甘いお菓子を食べていると、感じにくくなるためでしょう。煎茶の席で出るお菓子は干菓子が定番です。いただく御茶碗はお酒を飲むお猪口(おちょこ)くらいのサイズです。黙っていると、何度も何度もふるまわれます。満足したら、御茶碗をお盆の上に逆さまに伏せておくと、「もーいらん」という合図だそうです。お昼ご飯は、別のお座敷で、これぞまことの懐石料理というのをいただきました。お酒もついています。「おちゃけも出るのか」と、また藤原先生とヒソヒソ話。ホロ酔い気分で、午後は「薄茶」をいただいて、なんと、ほぼ丸1日を費やすフルコースのお茶会でした。あれ以来、こういう正式のお茶会に行ったことはありません。懐かしい想い出です。その藤原先生は私より一回りしたですが、今では立派におじいさんです。