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スレッドNo.158

論語でジャーナル’25

5,圭を執(と)るときは鞠躬如(きくきうじよ)として勝(た)へざるが如し。上ぐること揖(いう)するが如くし、下(くだ)すこと、授くるが如くす。勃如(ぼつじよ)として戰色(せんしよく)あり。足蹜蹜(しゅくしゅく)として循(したがふ)ことあり。享禮(きゃうれい)には容色あり、私覿(してき)には愉愉如(ゆゆじよ)たり。

 先生が玉(ぎょく)の笏(しゃく)を手に取るときは、背中をかがめて重そうに見えた。笏を上げるときは、両手を胸の前で組むようなしぐさをし、下げるときは誰かに授けるようなしぐさをした。その時の顔色は生き生きとしているが、体は震えおののくような、足は縮まるような気配があり、歩く時は前足に後ろ足が寄り添うようなしぐさをした。
君主より預かった土産物を渡す儀式では表情を整えたが、それを終えた会談では、楽しげだった。

※浩→外国に使節として派遣された時の行動です。孔子が外国に使者となって正式に派遣された記録はないので、孔子自身の行動ではないと言われています。しかし、いつの間にか孔子の行動として伝えられたのでしょう。
 孔子様とは比較にもなりませんが、ぐーーーっと規模を縮小して、せめて私たちが「よそのおうち」を訪問したときの礼儀を考えてみます。この国からマナーが消えてしまったようなお話はしょっちゅうしていますが、それでもごくまれに、きちんと応答される方がいらっしゃって救われます。狭い通路で、こちらが先に端へ寄って待ってあげていると、すれ違われた人がきちんと会釈されたりすると、もうそれだけで心が豊かになります。「江戸仕草」というのがあります。これには異論もあるそうで、現代のあまりにも無作法・傍若無人の日常にあって、見習うべき点も多々あろうかと私は思います。ネットからコピペすると、主な江戸仕草には次のようなものがあったようです。

#傘かしげ
 雨の日に互いの傘を外側に傾け、濡れないようにすれ違うこと。
#肩引き
 道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと。
#時泥棒
 断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる。
#うかつ謝り
 例えば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。
#七三の道
 道の真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のために空けておくこと。
#こぶし腰浮かせ
 乗合船などで後から来る人のためにこぶし1つ分腰を浮かせて席を作ること。
#逆らいしぐさ
 「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる。
#喫煙しぐさ
 野暮な「喫煙禁止」などと張り紙がなくとも、非喫煙者が同席する場では喫煙をしない。
#ロク
 江戸っ子の研ぎ澄まされた第六感。五感を超えたインスピレーション。江戸っ子(江戸仕草伝承者)はこれで関東大震災を予知したという。
#お心肥やし
 知識・機能を増やすだけでなく心・感性を磨く。
#見越しの仕草
 先を読む。

 昔、お作法と言えば、「小笠原流」というのがあったようですが、最近は耳にしません。どうなっているんでしょうね?これもネットで調べました。

 「小笠原流」と呼称されるものは歴史上いくつか存在し、それぞれ内容、伝えた家系が異なる場合があるので区別が必要である。また、小笠原流の歴史に関しては後世の創作や仮託が広く流布しているため、史実との峻別も必要である。大別すると以下の7種に分類できる。

1,室町幕府奉公衆京都小笠原氏による武家故実、弓術、馬術、諸礼法の流派。
2,江戸時代初期の水島卜也の系統による故実礼法。民間はじめ武家社会にも広く普及した。
3,江戸幕府旗本小笠原氏によるもの。弓馬術礼法小笠原流(小笠原教場)として現在まで継承している。
4,兵法の一流派。室町時代の京都小笠原氏一族とされる小笠原宮内大輔氏隆が祖。
5,煎茶道の一流派。小笠原流煎茶道。
6,旧小倉藩主家である小笠原家総領家に伝わる茶道及び礼法の一流派。小笠原家茶道古流と小笠原流礼法。昭和時代に第32代小笠原忠統によって民間に広まった。

 これには驚きました。単に、「行儀作法」の流派のことかと思っていましたが、もともとは小笠原氏による武家故実、弓術、馬術、諸礼法の流派だったとは。大発見です。

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