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スレッドNo.164

論語でジャーナル’25

9,公(こう)に祭れば肉を宿(しゅく)せず。祭の肉は三日を出でず。三日を出づれば、これを食くらわず。

 君主の祭祀のお下がりの肉は、その日の内に食べて夜を越させない。自家の祭祀のお供えの肉は、三日以内に食べて、三日を過ぎたら食べない。

※浩→お下がりを早く食べてしまうのは、腐らせては神への冒涜になるからです。現代ふうに言い換えると、「いただきもの」は早めにいただいたほうがいい。腐らせては、くださったご厚意を軽んじることになるから。古風なようで、実に大切な配慮です。他者への配慮は「愛の根本」だと思います。こういう大それたことを言うわりには、私は、「いただきもの」をそのままに放置していて、あるものは賞味期限・消費期限をすぎてしまって、結局捨てざるをえなかったりすることがありました。これは猛反省です。子どものころは常に飢えていて、いただきものにはすぐ手を出していましたが、大人になって、あるていど経済的に恵まれてくると、そんなにいらつかなくなりました。これは「衣食足りて礼節を知る」の喩えどおりで、まことに結構なのですが、過ぎると私の失敗のようになります。飢えている状態は「劣等な状態」ですから、当然それを補償しようとします。満ち足りていると、その必要がないので放置してしまうのです。「愛徳にもとる」ことは、信仰上でなくとも心がけたいです。エーリッヒ・フロムの『愛するということ』に、次のような一節があります。
 →あらゆる形の愛に共通して、必ずいくつかの基本的な要素が見られるという事実にも、愛の能動的性質があらわれている。その要素とは、配慮、責任、尊敬、知である。←
 昔、カトリック教会に出入りしていたころ、断食をする大斎・小斎について知りました。大斎と小斎を守る日は、「灰の水曜日」と「聖金曜日(復活祭直前の金曜日)」で、小斎を守る日は、祭日を除く毎金曜日でした。
 大斎は、1日に1回だけの十分な食事とそのほかに朝ともう1回わずかな食事をとることができ、満18歳以上満60歳未満の信者が守ります。
 小斎は、肉類を食べないことですが、各自の判断で償いの他の形式、とくに愛徳のわざ、信心業、節制のわざの実行をもって代えることができ、満14歳以上の信者が守ります。
 これを知ったとき、ベテランの信者さんに質問しました。「信者でないおうちで、金曜日にお肉料理が出たら、『小斎ですから、いただけません』と言って断るんですか?」。答えは「それは愛徳にもとりますから、いただいてかまいません」でした。掟に反することよりも愛徳に反することを避けることのほうが大事なのでした。そういえば、『聖書』の中にも、イエズス様の言葉に、「安息日は人々のためにあるので、人々が安息日のためにあるのではない」(マルコによる福音書3章1~6節)とありました。

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