論語でジャーナル’25
10,食らうには語らず、寢ぬるには言わず。
食事のときはおしゃべりしない。寝るときもしゃべらない。
※浩→「食事のときはおしゃべりをしない」というのは、「新型コロナ対策」での心得でした。吉川幸次郎先生の解説によれば、「語」は「対話」で、「言」はただの発言です。これですと、食卓での会話が禁止されれいるようで、会食の楽しみがなくなります。荻生徂徠の説では、「語」を「教訓の言葉」と解します。これだと「食事のときは教訓めいた話をしない」ということですから、世間話や座が楽しくなるような会話はOKということになります。講座のあとは居酒屋で懇親会をしていますが、ここでは「教訓」めいた話はほとんどありません。楽しくおしゃべりします。アドラー心理学よもやま話もたくさんしています。時には何気ない雑談から、メンバーのライフスタイル分析ができたりします。
ひとり暮らしの自宅では、話相手いえばテレビだけですから、私の口は食べることに集中できます。テレビで映画やドラマを見ながら食事をすると、しょっちゅうお箸が止まって、画面に見入ることがありますから、その分、食事時間が長くなります。こりゃいかんと、朝食時にはテレビもラジオもやめて、ひたすら食事に集中すると、半分くらいに時間短縮できます。今回の論語を実践していることになります。妹が帰省すると、お座敷に布団を並べて寝たときは、寝入る前にしばらくおしゃべりしていました。コロナ以後は帰省しませんので、長らく妹との直接会話はありません。LINEではしょっちゅうおしゃべりしています。
大昔は、大学時代に一時、艇友の行司伸吾君宅に下宿していたことがあって、当時は、隣室(伸吾君の部屋)との境の襖をあけて、布団を移動して頭と頭を逆さまにくっつけて寝て、どっちかが寝入るまで、ああだこうだとおしゃべりしていました。今思い出す話題としては、岡山市内の「西川」はどこからどこへ流れていくかで、毎晩盛り上がっていました。時は流れて、現在の自宅は、不思議なご縁で伸吾君の生家の北方約1キロの位置にあります。伸吾君自身は、大学卒業後、静岡県の高校に赴任し、結婚されて自宅を浜松市内に建てて、そこで定年まで勤め上げました。各校にボート部を創設して、全国理事にまでなり、まさしくボート一筋の人生を送り、2009年に亡くなりました。早すぎます!