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スレッドNo.166

論語でジャーナル’25

11,疏食(そし)と菜羹(さいこう)と瓜と雖えども、祭るときは必ず齊如(さいじよ)たり。

 粗末なご飯、野菜のスープ、瓜であっても、神にお供えするときには、厳粛な態度をとった。

※浩→ここは貝塚先生の解説はありません。吉川先生は、次のように解説されます。ここでの「祭る」というのは、すべてのものを食べるとき、その一部分をつまんで皿の外に置き、昔初めてその食物を食べることを思いついた人に、敬意を捧げることである。わが国の「初穂を取る」という風習と、相通ずる。敬虔な孔子は、いかなる食べ物に対しても、それを行なった。
日本の初穂は、秋の稲の収獲に先立って神に献じる熟した稲穂のことだとネットにありました。多くの神社で今も行われているそうです。そういえば、私が子どものころ、田舎の家に仏壇がありましたが、神棚もありました。母は、どちらへも厳重にお供えをしていました。朝は、家族が食卓に着く前に、お仏壇にご飯をお茶を供えて、鐘をチーンとならして、合掌していました。神棚にもお供えをして柏手を打っていました。お料理を家族のためにお皿に盛り付けるとき、確か、少量を皿の外に置いて、「これは神様の」と言っていたようないなかったような。知らんけど(笑)。その後、私が就職して、実家を離れて借家住まいになると、神棚は置けなくてお仏壇だけになりました。そのお仏壇には、今は、私が5歳のとき10歳で亡くなった兄と、私が23歳のとき亡くなった父と、私が54歳のとき亡くなった母が祀られています。普段は長子となった私がご先祖供養をしていますが、妹が帰省すると、たくさん手伝ってくれます。特に、お盆提灯の組み立ては器用な彼女がずっと担当していて、不器用な私はしたことはありません。毎朝、ご飯とお茶をお供えして、鐘をチーンと鳴らして、合掌して、南無妙法蓮華経とお題目を唱えます。檀那寺の住職の読経の節回しを真似て、「なむみょうほうれんけきょう、げーきょうなむみょうほうれんげーきょう、なむみょうほうれんげー、きょうなむみょう……」とやって、1人で笑っています。バチ当たりです。最もありがたいと言われる「方便本品(ほうべんぽん)」の経本はありますが、ほとんど唱えることはなく、きちんと暗記している「般若心経」を口ずさんでいます。お経には違いないから許されるでしょうね。アニメの「一休さん」をテレビで観ていると、安国寺で唱えられているお経はいつも「般若心経」です。他にもお経はあるはずなのに、どうなっているんだろうかと、ひとりで不審がっています。ま、いいけど。

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