論語でジャーナル’25
12,席正しからざれば、坐せず。
座布団は、まっすぐ向いていないと座られない。
※浩→今の中国の人は椅子を用いますが、これは唐のころから起こった風習だそうです。それまでは今の日本人のように、座っていました。孔子のころもそうでした。ただ、今の日本と違うのは、今の日本では、床板の上に畳が敷き詰められていますが、古代中国では、座る場所だけに畳が置かれ、座る場所が移るに応じて移動したそうです。それが「席」でした。席の材料は草のことが多いですが、竹もありました。天子諸侯など身分の高い人は、三重に重ねた座に座り、大夫と士は二重でした。
その席が正しくないと座らないというのは、畳の位置がきちんとした方向に向いていなければ座らない、というふうに読めます。それだと孔子は非常な潔癖家だということになります。吉川先生はそうではないとおっしゃいます。座る前に畳の位置をきちんとするのが、当時の礼儀であったため、きっときちんと向きを直してから座り、そうしないうちは座らなかったのだと。「席は正さざれば坐せず」と読むほうが適切だろうとおっしゃいます。
これはまるでうちの父のようです。父は非常に几帳面できれい好きでした。身の回りのものは必ずまっすぐ置いていて、誰かがさわって少しでも曲がっていると、怒って直していました。机の引き出しの中のものも、すべてまっすぐで、中に1つだけワザと傾けているものがありました。もしも誰かが触ったら、必ずまっすぐに戻すでしょうから、それを父が見たら、触られたということがすぐにわかります。こういう几帳面な行動様式はすべてといっていいくらい、ほぼ神経症的に私が受け継いでいます。今もわが家の中は、すべてのものがまっすぐです。少しでもゆがむと、私は無意識のうちにまっすぐ直しています。父から踏襲した大切な洋式だと思って、この線で生きていくでしょう。自分がそうするだけで、他の人には強要しないからいいでしょう。そういえば、小津安二郎監督の映画の場面では、置かれた小道具類がすべて「まっすぐ」でした。小津監督も父のような人だったのかもしれません。