論語でジャーナル’25
13,郷人の飲酒に、杖つく者、出ずれば、斯(ここ)に出ず。
村人の酒盛りでは、六十歳以上の老人が杖をついて退席されるのを待って退席される。
※浩→「郷」は村落共同体。郷ひろみさんではありません。村人たちは、時期を決めて、公民館で宴会を開きました。それが「郷里人の飲酒」です。この儀式の主たる意味は、有能な若者を弁別することにあると言われました。もう一つは、敬老会的な意味です。宴会の儀が終わり、一同が退出するとき、杖をついている老人が退出すると、孔子はそのあとから退出し、老人に対する敬意を表しました。中国の杖は、日本のステッキのように短くなく、身の丈ほどの杖です。京劇に見られます。日本では西園寺公望がついていたとか。チャップリンが映画の中でついているのは、短いスッテキでした。三つ揃いのスーツと山高帽とステッキは紳士の身だしなみでした。
昔は、老人が杖をつく姿はごく当たり前のように見られました。最近は、腰の曲がった老人を見ることはほとんどなくなり、また、杖をつく人も少ないようです。私もとっくに80歳を越えましたが杖は不要です。近所のスーパーマーケットに買い物に行くおばあさんは、たいてい乳母車(おっと、“ベビーカー”だそうです)を押して歩いています。日本語で乳母車と言えばいいのにわざわざカタカナ言葉で言うことはないと思います。「乳母(うば)」がほとんど死語になっているのでしょう。現在のような良質の人工乳が得られない時代には、母乳が出にくいと乳児の成育の妨げになり、最悪の場合はその命にも関わりました。そのため、皇族・王族・貴族・武家、豊かな家では、母親に代わって乳を与える乳母(うば、めのと)雇いました。歌舞伎の名狂言『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』には幼い城主・鶴松に政岡という乳母(めのと)がいました。彼女は、城主が毒殺されるのを防いで、年を同じくする自分の一子・千松を犠牲にします。これはしょっちゅうお話ししています。武家社会は、幼子受難の時代でした。また、身分の高い女性は子育ては自分ですべきではないと考えられ、しっかりした女性に任せるほうが教育上良いと考えられました。で、母親に代わって子育てを行う女性も乳母と言われました。商家や農家などでは、母親が仕事で子育てができない場合に、年若い女性や老女が雇われて子守りをすることがあり、この場合は「ねえや」とか「ばあや」と呼ばれました。ドラマや映画によく出てきます。ところが、これも最近は「ベビーシッター」と言いますか。いやはや日本語がどんどん滅びていくのは愉快ではありません。
中国のこの「郷人飲酒(郷飲酒礼)」は日本の「敬老会」のルーツでしょうか。年に一度の「敬老の日」だけでなく、普段から敬老を心がけてほしいものです。「敬老会」はカタカナ言葉で何と言うんでしょうか?