論語でジャーナル’25
23,朋友死して帰する所なし。曰く、我に於いて殯(ひん)せよ。朋友の饋(おく)りものは車馬と雖(いえど)も、祭肉にあらずんば拝せず。
友人が死んで頼る場所のない場合には、先生は、「私の家に棺を置いて、殯(かりもがり)しなさい」と言われた。友人からの贈り物は、車馬(のような高価な物)であっても、祭祀のお供えものでなければ謹んで受け取らなかった。
※浩→友人が死んで絶望に打ちひしがれているときの心得です。「私の家に棺を置いて、殯(もがり)をしなさい。「殯」というのは、遺体を埋葬する前に一定期間、棺の中で生きているように安置しておくことです。友人からの贈り物は、たとえ車や馬のように豪華なものでも、祭祀のお下がりの肉でなければ受け取らなかった。「朋友は財を通ずる義(みち)あり」と言われるそうで、朋友という人間関係は、財産を共有するほど親しいということだそうです。友人が死んでしまったときの絶望感や無力感を和らげる『葬礼の方法』としての孔子のお勧めです。
私の友人の死といえば、大学のボート部仲間で親友の行司伸吾君です。そして、先方は親友と思われていなかったでしょうが、岡山工業高校で歌舞伎と落語の楽しみを共有した細川公之先生です。おふたりの死はまったく予想外でした。行司君とのエピソードはたびたび書きました。2009年2月に亡くなっていたことを知らずにいたところ、たまたま隣家のご主人が、彼の兄の友人であったので、そちらから聞いて知りました。その隣家のご主人は、浜松での葬儀に参列されましたが、私は行司君の奥様からのお知らせがなくて、参列できませんでした。結婚式には行司君自身が呼んでくれて出席できましたが、奥様にとって私は「親友」ではなかったですから、仕方ありません。彼の生前中は、秋のマスカットのシーズンにはこちらからそれを送り、晩秋にはあちらから三ヶ日みかんが送られていました。そういえば、喪中んお年賀状の欠礼通知も来なかったですから、うちはまったく無視されていたわけです。
一方、細川先生は、親友とは言えないかもしれませんが、とても大切なお人です。職場のもと同僚で、趣味を同じくしていました。年賀状のやり取りは私の退職後も続きました。そして親友でなくても、亡くなられたとき、奥様から年賀状の欠礼通知は来ました。細川先生は私にとっても懐かしい井原市のご出身で、大学は東京の二松学舎で、漢文がご専門でした。うちの母が女学校時代(岡山第一女学校)に、書道大会とかで、全校生の前で書いたという床の間の掛け軸の「漢詩」の意味をたずねたところ、きちんとその詩の全文を調べて教えてくださいました。能楽にも通じ、その幽玄の世界に惹かれたそうです。さらに歌舞伎にも詳しく、まさに生き字引でした。私の退職後、転勤された岡山南高校在職中に病死されました。その後も市川猿之助(現・猿翁)のお芝居の録画を観るたびに、岡工で「ああだこうだ」と談義したことを思い出します。また「百人一首」も大好きで、しょっちゅう、下の句から上の句を言い当てる練習をしていました。これは「脳トレ」になりますから、今でもときどき口ずさんでいます。「からくれないにみずくぐるとは」だと…「ちはやふるかみよもきかずたつたがは」と出てこないといけません。