論語でジャーナル’26
5,子曰わく、孝なるかな、閔子騫(びんしけん)、人その父母昆弟(こんてい)を間(かん)するの言(こと)あらず。
先生が言われた。「閔子騫は親孝行であるな。他の人が彼の父母や兄弟を悪く言う言葉を聞いたことがない」。
※浩→閔子騫は、両親に対する忠孝の徳において特に優れていたとされる弟子です。閔子騫は、自分の継母から激しいイジメや嫌がらせを受けたのですが決して継母を恨むことはありませんでした。そもそも再婚したのは子騫を育てる母親が必要だったからで、それが実現しないなら離婚しようと言い出した父親に対して、離婚を思い留まるように懇請しました。最終的には、継母も後悔して、家族関係が改善しました。
親孝行か……。野田先生の親孝行のご様子をたびたび取り上げますが、実家へ帰られたときは、高校生のころの食欲を基準に作られるお料理を間食するために、朝から絶食されたそうです。それに引き換え、私はまことに親不孝でした。お刺身が好きでしたので、母はたびたびお刺身を用意してくれていました。それなのに、「そんなに刺身ばかり食べられない!」と不平を言っていました。母は加齢でそろそろ記憶が怪しくなっていたのでしょう。刺身を買ってはいけないことを忘れてまた刺身を買い、帰宅して台所で「あ、いけない」と気づいて、そのうち、買ってきた刺身を隠すようになりました。母の死後、片づけをしていた妹は、押し入れやあちこちから刺身のミイラが出てきたのを発見しました。私は、心が張り裂ける思いでした。この失敗を相棒の児玉先生にお話すると、彼は去年までは、ご実家に帰られると母上の手料理をしっかり食べて、岡山に帰ると、体がひとまわりふっくらしていました。親孝行したいときに親がいらっしゃる人は幸せです。その児玉先生は、この年末年始は暮れの25日から鹿児島の実家へ帰られて、90歳前後のご両親の介護に専念されています。普段は近所にお住まいの妹さんが大奮闘されていますが、お母様が手のかかる状態で、ご自身も体が不自由になられたお父様を困らせていました。児玉先生が帰省されて、援助の力が倍増以上になりました。お元気な児玉先生も60歳を越えられて、世間で言われる「老老介護」になりそうでですが、さすが児玉先生!この困難なタスクに前向きに取り組まれています。とてつもなく大きな「愛の力」で。